見出し画像

仕事のコツ その3 垂直立ち上げ 早期に経済的基盤を確立する 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 私の最も基本的な仕事のコツは、安心して仕事に打ち込める環境を整えることです。

 経済的基盤が揺らいていると判断が鈍りまくります。

 私の場合は職業としてのサラリーマンという仕事を選びました。研究職から始まって、研究開発を含めた事業企画/開発という立場でした。そこでの仕事のコツは、特に新規事業では垂直立ち上げです。

 これも結局は、

早期に経済的基盤を確立する

ということ。

 戦線が延びると上手くいきません。”精緻“に”実行可能“な計画を立てます。マイルストーンを具体的に設定します。ここで殆どが決まります。まぁ学生ではないので、人生経験も有り、かつ1人ではなく組織として策定するのでそんなに大きくは外しません。

 後はマイルストーン毎に淡々と垂直立ち上げをしていきます。不測の事態に陥っても、例え投資が嵩(かさ)んでも期限内に目標を達成することを優先します。

 遅延すると累積損失が積み上がりゴールも遠くなります。所謂お金の現在価値の考え方で、

ジリ貧は絶対に避ける

これに陥ると雪だるま式に遅延が進み手に負えなくなります。

 兎も角小さく産んで大きく育てるというスタンスで試験販売から始めてキャッシュフローを生みながら大きくしていくという、極自然なスタイル。

 これは仕事だけではなく様々な場面で応用できます。

 例えば結婚。私の場合結婚したいと思ったら経済基盤を3年間で垂直立ち上げするなど“精緻”に計画を立てて兎も角最短時間で結婚しました。

 これは、例えば投資規模の大きな半導体製造の事業でも当てはまります。
 半導体サイクルは、3年周期と言われています。

 1988年頃から構想、先ずは受動体電子部品の開発を3年し、3年間での垂直立ち上げ。
 電子部品業界の土地勘をつけて1990年初頭から能動体電子部品の王道、半導体の開発技術者と操業担当者を育成しつつ事業化計画を足掛け3年間で策定。
 1991年に満を持して事業化を開始し3年目の1994年には製品製造体制と販売体制を整えたという経験をしました。

 勿論大きな事業化プロセスですので、私はその駒の1つという立場。とはいえ抜擢されて事業化の中核人材8名の1人として米国からの技術導入と米国での次世代技術開発、そして販売体制の整備を担当しました。

 自社工場での半導体メモリとマイクロプロセッサ等の製品群に加えて、台湾の半導体会社のロジック製品群などを日本国内での総代理店として輸入販売する事で、商品ラインナップを増やし一気に事業化するということをしました。
 その後も1995年からは自ら立ち上げに参加した最先端半導体工場の製品群を米国提携先企業へOEM販売したり、米国から始めて、欧州、イスラエルなど販路拡大を担当しました。
 イグジットとして米国のIT最大手で、半導体製造もしていた企業との提携等も担当しました。

 と、まぁこれは1例ですが、
その辺りも含めてこちらもお楽しみ下さい。

 ということで、

仕事のコツの1つは

垂直立ち上げ
早期に経済的基盤を確立する 

ということで、それを、実際行って来ました。

蛇足
 因みに私が担当した半導体製造の技術移管と最先端製造技術の確立は1992年から始まり1993年には、半導体量産工場での生産体制は足掛け2年間で出来ていました。しかし何と事務方の半導体工場の地目変更、市街化調整区域を外す手続きに不備があることが発覚、地目変更手続きに1年間を費やし都合3年間で量産体制は整ったのです。

 因みにそれは最終的に計画している量産規模の半分の製造ラインで、正に小さく産んで試作品の試験販売というスタートという予定でした。後は歩留まり(良品率)を極限まで上げるという地道な積み上げが残るだけの筈でした。

 この1年間のモラトリアム(笑)は、

製造担当にも開発担当にも極めて大きな余裕を与え、量産技術の向上や量産工場を使った最先端開発の加速等の恩恵をもたらしました。一方で量産工場を1年間遊ばせるのですから、その経済的な負担は大きく、事業としてのバランスシートを大きく損ないました。新規事業としては大きな負債を背負ってのスタートとなってしまいました。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?