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わたしの転職体験 その6 事業企画への道 研究職から本社マーケティング職まで辿り着く  鉄鋼会社研究所LSI量産·試作工場渉外職から鉄鋼会社電子デバイス事業本部セールス&マーケティング職へ ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 文系の方も理系頭の中身を覗いて見て下さい。(笑)

【経緯】
 大学を卒業して希望していた鉄鋼会社に入社、専攻していた表面物理学を活かせる研究部門に配属されました。そこでのんびり論文ドクター位取ってから総合企画部、そして役員狙いかなぁとぽんやり考えていたのでした。

 社内結婚を期に一気に人生が動きました。

 夫婦同部署不可もあり、研究(コストセンター)から事業部門(プロフィットセンター)へ希望通りの転職。それを足ががりに会社の未来の中核事業へ転職。転職先の製造所の所長にアピールが功奏し、米国カリフォルニア州のシリコンバレーの最先端半導体ベンチャーに転職。多国籍の方々と最先端半導体の開発をし、2年後に転職。鉄鋼会社の操業ノウハウを惜しみなくつぎ込んだ最新量産試作工場に米国で開発した技術を移管、製品化までしてやることはやったからそろそろ総合企画職へと上司に談判。技術職から事務職に転職して最初は渉外職からのスタート。

 この辺りまではこちらもご覧下さい。

 これも軽くこなしてしまい半年で仕事が無くなってしまう始末。再度上司に相談して本社のセールス&マーケティングに転職となりました。

【王道の本社での事務職に】
 セールス&マーケティングの仕事は、私が居た米国の提携先ベンチャーとの事業連携から始まりました。そこが定形作業に落ち着くと欧州も担当し年の半分は欧州に。その後米国に子会社としての販社が設立されそこに半年マーケッターとして駐在しました。果てはグローバルに展開するバックドア(裏口)として、総合商社さんと組んでイスラエルにリエゾンとしての駐在事務所を、まずは商社さんの事務所を間借りして設立しようとしたりしました。
(イスラエルは湾岸戦争開始直後に即時撤退しました。)

【ここは笑うところ】
 なぜか東南アジアは日本製品の売り手市場でビジネスの難易度が低く、加えて海外出張がとても楽しいらしく(想像通りの理由で(笑))、私のような技術職上がりの出る幕は有りませんでした。www

【憧れの総合企画部に】
 総合企画職へ向けて着々と地歩(じぶ)も固めていました。同じ本社ビル内の役員フロアの直下の階に憧れの総合企画部が有りました。しかも友人の推薦で運良く総合企画部が開催する社内MBA取得者向けの組織に参加できました。

【やはり私企業に入って良かった】
 そこではMBAのケーススタディを企業内の実案件に対して行い、実践的な経営者としての素養を身につける活動をしていました。驚くような内部資料を使った検討会でした。これも

インサイダーならではの凄い経験

でした。この経験は、後に経営者となった時に遺憾なく活かされました。

 運と勘としつこさ

が引き寄せた転職人生はまだまだ続きます。

 宜しければこちらもお楽しみ下さい。



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