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記憶力難あり… 英語が不得意科目から得意科目に激変 必修英単語 3000選 こうして私は受験を乗り越えた その2 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 此方の続編です。

 受験を乗り越えるには英語は必須。ところが私は…

記憶力が悪い。

 興味ない物は全く覚えられません。特に読み出し時間が長く、身近な人の名前を一日後に思い出したりします。自分自身を客観的に観察すると、正確には書込みはできていて、読み出しが苦手なようです。ぱっと思い出せないと、「暗記なんてくだらない、価値あるのはものの考え方、思考力だ。」と割り切ってしまうところが問題。大学受験の頃にこれに気づいて諦めずに思い出すようにし、かなり改善ましたが、まだ劣っています。

 と云う背景で英文法、英文読解、英作文のロジックは頭に入るのですが、圧倒的に英単語力が不足していました。上述の

「暗記なんてくだらない、価値あるのはものの考え方、思考力だ。」と割り切ってしまうところが問題。

これそのものです。英単語が分からなくても、その瞬間知ってるか/知らないかだけのくだらない話と頭が整理してしまいます。

 これを乗り越えることが必須と自覚しました。そして選んだのが此方…

駿台文庫 必修英単語 3000選 鈴木長十 伊藤和夫
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出典

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 自分で単語カードや英単語帳を作ったりもしましたが、作る時間が惜しいし、そもそもプロが厳選したところが、受験と云う目的に特化していて潔い。

 これを高校への通学や駿台予備校への通学の時間を使って徹底的に丸覚えして行きました。毎日10語覚えれば300日、まぁ1年程度で何とかなると云う目論見でしたが、10日目頃から怪しくなって記憶領域が満杯になってしまった感じ。単語と意味の間で折って英文読解対策として単語からその意味、英作文対策として意味からその単語と両面での復習してから新しい10語を覚えると云う作業なのですが、嫌になるぐらい復習に手間取ります。初めの方の単語を見事に忘れてしまうのです。
 結局2年以上掛けて何とかものにしましたが、半分の1500語を越えた辺りから模擬試験での英語の点数が格段に上がりました。こうなると結果が伴ってくるのでやる気が湧いてきます。幸い英文法、英文読解、英作文のロジックは頭に入って居るので結果が出やすかったのだと思います。

これで英語は不得意科目から脱して得意科目になりました。これはとても気持ちの良い成功体験となりました。

 後に成人式の日に、初めてお酒を飲んで六本木を友人と歩いていた時、戯れに外国人の若い女性グループに英語で話し掛けたところ、意外にも通じ普通に会話ができました。これには我ながら驚き、妙に感動しました。

受験勉強も役に立つんだなぁ

こんな感じで受験英語を乗り越えた先には、その後海外駐在、海外畑の会社員として人生を楽しむと云う素敵な未来に迄継(つな)がっていたのでした。

 つづく



経緯
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 受験の季節
Noteさんのお題と云うことで、愚輩の事例紹介を…

 私の人生で受験は人間としての知の基礎を固める期間として利用しました。

 受験を乗り越えた肝は

信頼できるプロに任せる

 まぁ

「何事も先達はあらまほしきことなり」


の実践です。この言葉は、吉田兼好の『徒然草』の「仁和寺にある法師」の段で出てくる一節で、Geminiさんに解説して貰いますね…

 具体的な先達は、母方の叔父と再従兄(さいじゅうけい、(はとこ))。何方も奇しくも慶應義塾大学卒業(工学部と経済学部)でした。因みに就職して大手農業機器メーカーと大手総合商社に勤めて居ました。

 身近な人生のロールモデルと云ったところでしょうか。

 ロールモデルにつてもGeminiさんに説明して貰いますね。

 昭和の時代、高度経済成長の時代だったので高学歴、大企業と云うのが1つの分かり易い人生設計でした。お二人共見事にその典型例。知的なレベル感も私と波長が合う感じでした。

 加えて小学生時代は、ネタバレですが… 後に大学生になって同じ環境に戻るのですが… 自らの知的欲求に合わせて自由に学んだり研究したりして居ました。

例えば…
 小学校2年生では鉄道模型で電気工学を学び、モーターを発電機として自転車の前照灯にしたり…
 学研の科学と学習を付録を目当てに、例えば学習ならことわざ辞典とか、科学なら信号機の模型とか… 特に上級学年の冊子を購入して居ました。


 また、お下がりの玉川児童百科事典

を貪る様に読んだりもして居ました。

 なので、学校の授業は簡単そのもの、余裕で受けて居ました。勿論成績もオールAなのですが、偶に体育だけ、クラブ活動に有る種目だと、特に高学年ではそれが得意な級友がAになるので相対評価の仕組みからBを貰う事も有りました。

 しかし、流石にベビーブーム末期、無手勝流は受験戦争と呼ばれた時代、難関校受験には通用しませんでした。

 偶、小学5年生の時に受験した四谷大塚の補欠募集に合格し、そこからが本格的な受験生としての10年間続く長い時代の幕開けとなりました。
 
小学生の時は…
四谷大塚

中学生の時は…
日進学園
(日比谷高校の元教師が運営する生徒数200人規模の地元密着の塾、閉校)
東大学力増進会
(夏期講習/冬期講習)

これで高校受験でも志望校に合格できず、心を入れ替えて予備校を厳選し、高校1年生から予備校通い。

駿台予備校
 受験のプロとして満を持して選んだ駿台予備校。流石に麻布、開成、武蔵の方々の背中は遠かったのです。しかし、予備校の授業自体はまるで大学の教養課程の様に受験対策と云うよりはテクニックではなく実力を着けると云うスタンスでした、この駿台予備校の空気が肌に有って受験対策を楽しみました。


 その甲斐が有って見事希望の難関私立大学の理工学部に合格したのでした。


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