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  • ルーツ探し

    祖父が韓国人だと知って韓国の親戚を見つけるまで

  • 韓国好きの独り言

    ただの韓国好きが旅行記を残したいためだけのもの。

最近の記事

真実

翌朝、蔚山へ行く準備をしていたら Bさんから連絡がきた。 その日の仕事がキャンセルになったので、おじさんの希望通り午前中に会いに行ったらどうか? もし、蔚山の予定が変更できるならおじさんに電話して約束しますが。 一瞬迷ったが、翌日はもう帰らなくてはいけない。 ここはおじさんを優先するべきだろうと思い、蔚山はなんとかするのでおじさんに連絡してください、とお願いした。 「10時に昨日の事務所で会うことになりました。」と連絡がきた。 そして 「昨日まではサービスしますが、

    • 対面

      いよいよ!いよいよ! Bさんがドアをノックして開けた。 中に入り、 「電話で話した者です。 이 *용さんはいらっしゃいますか?」 「この人だ」 私は恐る恐る、中に一歩入る。 その場には数人のアジョシたち。 全員の視線が私に向けられる。 敵意とも好意とも、わからない。 言葉がでない。 「안녕하세요…」小さな声でいい頭を下げた。 応接セットの向かい側に座る男性。 (この方だ)言われなくてもわかった。 アジョシたちがソファをすすめてくれる。 テーブルには新聞

      • 奇跡が起こる

        寝る前にスマホで検索すると 八公山桐華寺という大きなお寺がある。 そして、前のバス停から急行バスで40分ほどで行けるみたいだ。 よし、明日はここに行こ! 本当は安東に行くつもりだった。 いつか行きたいと思っている安東。 大邱に拠点を決めたのも アクセスがいいからだった。 1日は尚州、1日は安東、そして1日は友達のいる蔚山。 その予定だったけど、尚州行きに結構な予算を割いてしまったので 安東は諦めた。 仕事で早朝起きが癖になっている私は、翌朝も早くに目が覚めた。 コ

        • やっと来れた!

          朝、8時過ぎにBさんはオフィステルの下まで来てくれた。 タクシーではなく、自家用車なので 助手席に促された。 スマホのナビを入力して出発🚗 日本語での挨拶、自己紹介、その後の会話もスムーズで やっぱりお願いしてよかったなぁと思った。 年齢はどうやら1つ違い。 (私が上) 道中でも、祖父についての話をした。 最終目標は「墓参り」ではあるけど 私にとっては、その地へ行くというそれだけでも十分なのだと話した。 実はそんなに期待もしていなかった。 祖父が生きていたら100歳

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        記事

          奇跡への助走。

          ソウルで一泊し.KTXで大邱へ向かった。 予約していたオフィステルのチェックインが16時だったので、その時間に合わせて大邱に入った。 KTXに乗ったころ、大邱在住のAさんから連絡がきた。 大邱滞在中に一度くらい会えたら… そんな程度に思っていた。 その日、大邱到着後にお茶をしましょうということになった。 実はこの「1日目」にお茶しましょう、てなったことが重要になる。 大邱に到着後、薬苓市場近くで待ち合わせた。 お茶を飲みながら、 大邱の美味しいお店、おすすめの場

          奇跡への助走。

          出会いと縁。

          2024年の春。 慶尚南道ツアーに参加することにした。 このツアーに参加することから何やら見えない力を感じる。 いつもブログを拝見していて、一度参加したいなぁ…と思っていた。 春ツアーの告知があった時、 ふと浮かんだ友達を誘ってみる。 もしこの友達が、乗り気じゃなかったら 私も行かなかったかもしれない。 「こんなツアーあるねんけど、行かへん?」という唐突な私の誘いに 即答で「行きたい」ときた。 そして、決まった慶尚南道ツアー。 出発前にお祈りした🙏 「どうか韓

          出会いと縁。

          呼ばれてる?

          祖父のことを調べようとしても それ以上は何もわからなかった。 想像の世界しかない。 手元にある戸籍を隅々まで見て 年表を作ったりしても、新しい事実は何もない。 たとえ、本籍地へ行ったとて、 何もわからないであろう、ということは感じていた。 祖父が亡くなって75年以上が過ぎ 祖父のことを知る人も韓国にはいないだろう。 そんな諦めから、だんだんとルーツ調べからは離れていく。 コロナが終わり、また韓国へ行けるようになると 嬉々として渡韓した。 ソウル、釜山、慶州。 2年

          呼ばれてる?

          食文化

          日本では、お味噌汁やスープは1人ずつお椀で出てくるけど 韓国ではひとつのチゲをみんなでスッカランで掬ってすする。 ドラマなどで見ている限りでは なんの抵抗もなかった。 家族や友達とのご飯で、ひとつのテンジャンチゲをすすることも抵抗なかった。 ただ、会ったばかりで ほぼ他人のドライバーさんとの食事でのチゲの共有は ちょっと抵抗があった。 あからさまに嫌がっているように見えるのは失礼かなと思って 最初の一口はいただいた。 そのあと、ドライバーさんがガンガン啜りだしたら、ち

          祖母。

          母方の祖母。 つまり李氏と結婚した人。 私が小さい頃。 祖母の名前は山田**と三崎**という、2種類あった。 叔父の苗字が山田だったので 山田はわかるが、三崎とは…? 特に保険証などが三崎だった。 なんで名前が二つあるのか、思ったけど 父方の祖母も苗字が違っていた。 これは再婚したからだと聞いていたので、 その母方の祖母もそんな感じなのかな、ぐらいで深く考えたことはなかった。 後に取り寄せた祖父の戸籍から 祖父と祖母は次男が生まれる前に入籍して、次男が生まれた後に離

          貧困と差別

          母はいつも「私は小卒だ」という。 中学さえ、まともに行っていないから、と。 小学校2年生の頃に祖父が亡くなり 貧乏になった。 雨が降ると傘がなくて学校を休んだ。 遠足の時は担任の先生がお弁当をくれた。 など、子供の頃の話は壮絶だ。 中学から年齢を誤魔化して働いたとも言っていた。 「近所のおばちゃんたちとコークス拾いに行ったりしたな〜真っ黒になって市電乗るのイヤやったわ〜」 少し体が大きめだった母は、年齢を誤魔化して働き出したらしい。 住み込みのガラス工場。 男の人

          貧困と差別

          回想

          叔父は母より3歳上で、かつては会社役員や社長までした人だった。 今は奥さんにも先立たれ1人で穏やかに暮らしている。 ボケてきてる、と聞いていたけど 私が電話すると、ハッキリしていたし 私のこともわかっていた。 家につき、インターホンを鳴らした時も、 すぐに私の名前を呼んで入れてくれた。 おもむろに私は戸籍を出す。 「おじいさんの戸籍もらってきたよーーー」 興味津々で見入る叔父。 「もしかしたら、知らん名前の子供おるかと思ったけど、それはなかった😆」 「そうか?

          慶州李氏

          日本の戸籍簿と韓国の戸籍簿。 統治していたからかもしれないけど、形式がほぼ同じ。 本籍地があり、戸主(筆頭者)の名前、家族の名前。 それぞれの名前の横には両親の名前と生年月日。 一つ違うところがある。 「本貫」の欄がある。 朝鮮半島(朝鮮語: 본관(ポングワン))では、本貫は、個人の戸籍の所在地の意味を離れ、氏族集団(宗族)の始祖の発祥地として使用された。とくに大韓民国では現在も家族制度上大きな意味を持つ。 (ウィキペディアより) 本貫の欄には「慶州」と書かれていた

          慶州李氏

          目標

          2017年に初めて韓国へ行き 2018年に1人で韓国へ行ったあと 私は韓国語を習い始めた。 たまたま職場の前にできた韓国語教室の先生と仲良くなり 格安で入学させてもらうことになったのだ。 韓国を学ぶ目的と目標を聞かれた。 いうのはタダやし、大きくいっとこ! 「いつか韓国に住みたい」と言った。 もちろん先生は本気にはしてないけど 私はまぁまぁ本気だった。 死ぬまでに、半年でもいい。 「旅行」ではなく、生活したいと思った。 そして、先生に言った。 「いつか祖父の生誕

          きっかけ

          世間が冬ソナで韓国ドラマの大ブームが起こってから 数年後に韓国ドラマの世界に足を入れる。 ヨン様ブームには乗れなかったが 入り口はやっぱり冬ソナだった。 インターネットの動画配信で見れると知り、かなり時代遅れだけどと言いながら見始めた。 ハマった(笑) 昔、日本であったドラマの感じに似ていた。 だから、おばさまたちがハマったんだな、とも思った。 冬ソナでハマり、そこから見れる韓国ドラマを片っ端から見るようになった。 ドロドロした復讐や、仕返しからの成り上がり話はあ

          きっかけ

          母の思い

          私の小学校の頃は道徳という授業があり、 その中では人種差別や部落差別の話が出てくる。 いろいろな事例をあげながら、 「こういう差別はやめましょう」 そんな授業だった。 姉は、仲の良い友達がある日 「私は実は在日なの」と告白されたことがあったという。 その時に家に帰り、母に話すと ただ黙って聞いていたと。 他の家ではわからないが 私の家でそういう差別や偏見的な考えを親から言われることがなかった。 「あの子は在日だから…」とか 「あそこは部落だから…」と友達を制限された

          母の思い

          ルーツ探しの旅

          長い年月の話になる。 私の祖父は、母が8歳の時に亡くなっている。 父の父親も、同じく父が子供の頃に亡くなっているので 私は生まれた時から"祖父"という存在がいない。 両親ともに、小さい頃に亡くしているので、父親の思い出話をすることもない。 「おじいちゃん」がいないのが当たり前の家庭だったので、特に祖父に対する思いもなかった。 時折、祖母や母から出てくる祖父の話は、「大酒飲みでお酒でカラダを壊して亡くなった」ということ。 どちらもよい印象を与える言い方をしないので、尚

          ルーツ探しの旅