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ルーツ探しの旅

長い年月の話になる。

私の祖父は、母が8歳の時に亡くなっている。
父の父親も、同じく父が子供の頃に亡くなっているので
私は生まれた時から"祖父"という存在がいない。

両親ともに、小さい頃に亡くしているので、父親の思い出話をすることもない。

「おじいちゃん」がいないのが当たり前の家庭だったので、特に祖父に対する思いもなかった。

時折、祖母や母から出てくる祖父の話は、「大酒飲みでお酒でカラダを壊して亡くなった」ということ。

どちらもよい印象を与える言い方をしないので、尚更のこと私は祖父への思い入れがなかった。

ただ一度祖母が、姉の部屋に貼られていた沢田研二さんの顔面ドアップのポスターの前で

「おじいさんに似てるわ…」

と呟いていた。
樹木希林さんのように「ジュリーー」
と叫びはしなかったけど(笑)

家には祖父の写真が一枚だけある。
携帯電話のカメラ機能ができてから、叔父の家にあったその唯一の写真を撮り、プリントした。

和服を着て背筋を伸ばして座る姿は
まるで役者さんか何かのように
美男子である。

特に私は膝の上で組まれた手の長い指が好きだ。

祖母の従兄弟の出征の壮行会の時に撮った写真だと聞いている。
少しお酒が入っている顔らしい。

ほとんど祖父に興味も関心もなく育ってきた私が、祖父が韓国人だと聞いたのは27歳の時だった。

当時、姉が体調を崩して伏せていたら
叔父がお見舞いに来た。
その時に、どんな経緯で出たのかわからないが

「おじいさんの国では…」と、
叔父はまるで姉が事実を知っている前提で韓国人の祖父の話をはじめたらしい。

叔父が帰るとすぐに電話があった。
「びっくりしたらあかんで。」と前置きされたあと

「おじいちゃんて韓国人やったらしい」


え?
は?
何の話?誰の?

というぐらいに、ポカンとなる。

あの役者みたいな、着物着てるあの人が?
韓国人?

話を聞いても、あまりピンと来なかった。
当時は韓国テレビはもちろん、韓国の文化や歴史にも全く興味もなかった頃で、実感もなく

(純粋の日本人じゃなかったんや〜)

という、ショックのようなよくわからない感情になった。

それから姉とこれまでの生活でのあれこれの点と点が繋がった。

長い時間、姉と妹と話し合い
母が私たちに隠していること
もしかしたら、夫である父にも隠しているかもしれないこと、
そんなことを考えて、私たちは知らなふりを続けることにした。

隠さなければいけない
そんな事情があったのだろう。
何十年と胸の中に隠して来た母の思いを考えると、
知らないふりをすることが1番だということでまとまった。

知らないふりをすると決めたので、
特に何かすることもなく時間は過ぎた。

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