母の思い
私の小学校の頃は道徳という授業があり、
その中では人種差別や部落差別の話が出てくる。
いろいろな事例をあげながら、
「こういう差別はやめましょう」
そんな授業だった。
姉は、仲の良い友達がある日
「私は実は在日なの」と告白されたことがあったという。
その時に家に帰り、母に話すと
ただ黙って聞いていたと。
他の家ではわからないが
私の家でそういう差別や偏見的な考えを親から言われることがなかった。
「あの子は在日だから…」とか
「あそこは部落だから…」と友達を制限されたことも一度もない。
「もし外国人と結婚したいて言ったら反対する?」と聞いた時も
「お前を大切にしてくれて、経済力があるなら、どこの国であろうと、どんな肌の色であろうと、前科者であろうとも、許す」と言われたことがある。
私はこれは、母が貧困で苦労してきた経験からの考え方だと思っていた。
でも後にわかった。
貧困➕朝鮮人差別で苦労してきたのだと。
私が今もそういった偏見なしにいられるのはこの母の育て方があるのかもしれない。
友達の家では
「あそこはチョーセン人だから!」と親から言われることがあったらしい。
私の家ではなかった。
おかげで偏見なくものごとを見ることができるようになっていたのだと思う。
そして、だからこそ
「おじいちゃんが韓国人」と聞いたからとて、嫌悪などはなく
へぇ〜という程度だったのだと。
自分の中に朝鮮半島の血が入っていると知ってからよく思い出す光景がある。
私の時代は日本名を使ってはいても
誰もが「あの子は在日」と認識されていることが多かった。
それは住んでいる区域や、名前からで
だからといって普段はそんなことはいうことはなかった。
ある日、いつも仲良しの男子2人が
喧嘩を始めた。
最後に片方が放った言葉は
「うるさい!チョーセン人が!」だった。
それを言った方も、言われた方も
その後のとても悲しそうな何とも言えない顔がわすれられない。
自分の祖父が韓国人だと知ってから
よくその光景を思い出す。
私はあの時、自分は日本人だという前提で見ていた。
それでも言い返すこともせず、
ただ黙って俯いてその場を離れた男の子の悲痛な顔が忘れられない。
私はそう言われることはなかったけど
母や母の兄弟は、それよりももっと酷い差別を受けながら生きていたんだろうな。
当の朝鮮人の父はいないのに
日本人の母といるのに
酷い差別を受けたんだろうな…
私たちに隠して生きるしかなかった母。
墓場まで持っていく、と決めた覚悟。
どれだけ壮絶な体験をしてきたんだろうか。
たぶん想像以上なんだろうな。
母が隠している以上、聞くこともできない。
それがもどかしかった。
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