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真実

翌朝、蔚山へ行く準備をしていたら
Bさんから連絡がきた。

その日の仕事がキャンセルになったので、おじさんの希望通り午前中に会いに行ったらどうか?
もし、蔚山の予定が変更できるならおじさんに電話して約束しますが。

一瞬迷ったが、翌日はもう帰らなくてはいけない。
ここはおじさんを優先するべきだろうと思い、蔚山はなんとかするのでおじさんに連絡してください、とお願いした。

「10時に昨日の事務所で会うことになりました。」と連絡がきた。

そして

「昨日まではサービスしますが、今日の分は追加料金として30万ウォン請求します。」

と言われた。

3万円は私にはとてもキツイ金額だった。
手元の現金はそんなになかったし、韓国で引き出せるのか…

いろいろ考えた。

1日目、6時間拘束の予定で250000ウォンだったのに、超過したのは
間違えて他のところへ行ったことも原因ではあるけど
確かにいろいろと役所で説明して交渉してくれたし、
昨日もおじさんから電話があったら駆けつけてくれたし、
今日もまた同行してくれるのだからお支払いするのは当たり前だろう。

逆に、代金を支払うことで
ビジネスとして割り切って利用すればいいのだ、と考えることにした。

お金は帰国してから送金するということで了解をもらった。

約束の時間通り、迎えに来てくれたBさん。
一緒に昨日の事務所へ向かった。

「約束より少し早いので、まだ来てないかもしれない」そう言いながら、ノックをしたら

中から返事があり、入ると
そこには昨日とは違う穏やかな表情のおじさんがいた。

おじさんは、朝から区役所て自分の住民票をとり
住民カードや戸籍までコピーして用意してくれていた。

自分が間違いなく、私の祖父の兄の息子である、という証拠を揃えてくれていたのだ。

「そんな…疑ってないし…」

昨日は酔っ払っていて、すまなかった、と言って
とても穏やかに話をしてくれた。

祖父は16歳で日本に来たらしい。
「金儲けしてくる」と言って出ていき
運転手をしていると聞いていた。
そしたら、その運転手をしていたところの娘と結婚したと聞いて、韓国の家では「どうやってそんなに気に入られたのか?」と思っていたらしい。

私が叔父に聞いた話でも
祖父が祖母の家の書生さんであった、と言っていたので、祖母の実家に雇われていた運転手であったのだろうと思う。

「社長の娘さんをお嫁さんにもらえるなんて!」と韓国では言われていたようだけど、日本ではたぶん祖母が無理矢理、書生さんと一緒に逃げた形っぽい…

後に、祖父が事業を成功させた時に、初めて祖母の父が家に来て認めた、というエピソードもある。

祖父と祖母は、一度だけ2人で韓国の実家に来たことがあると、おじさんは言った。

それは叔父から聞いた話と符合する。

祖父の母のお葬式で帰国したらしい。
祖母が着物を着て、祖父と2人並んだ写真があったそうだ。

「日本の着物を着たチャグオモニとチャグアボジは本当に綺麗だった」と言っていた。

ただ度重なる引越しでその写真はなくなってしまったらしい。
見たかったなぁ…😭

帰国の時に子供は連れていましたか?

という質問には、わからないと言われた。

おじさん自身は、まだ生まれていなくて、そんな話は両親から聞いたのだという。

「ただ…よっちゃん、きーちゃんが…」と言われた瞬間、私は

「えっ!よっちゃん、きーちゃん!」

それは叔父たちのことで、祖母がいつも叔父たちをそう呼んでいた。

戸籍を指さして
「これがよっちゃん、これがきーちゃんです」と言って

きーちゃんは亡くなってるけど、よっちゃんはまだ健在だと写真を見せた。

「亡くなった兄に似ている…」
そう言って目を細めたおじさん。

李家では、代々男の子が少なくて女系だったと話してくれた。
男の子が生まれても短命で、祖父とその兄の2人の息子がいるのは珍しかったらしい。

それでも、やっぱり男子は短命で兄も早く亡くなった、と。

私は祖父も、その長男きーちゃんも、次男の長男である私の従兄弟も同じ37歳で亡くなったと話した。

そして、代々酒好きから体を壊す、というので
私の祖父も酒のせいで病気になって亡くなりました、といった。

自分は、早くに奥さんを亡くして1人暮らしで、子供たちはソウルにいると。
そして子供たちも日本に親戚がいるであろうことは知ってる、と話してくれました。

「今は膝が悪くていけないけど、いつか日本へ行って親戚を探したいと思っていた」と言われて、思いが通じ合えたなと感じた。

聞きたいことはいっぱいあるのに、出てこないし。
そうた!

「派を聞いてください。慶州李氏の派!」というとBさんが

「そうだ!派は?」と聞くと

「イクチェコンパ!」と言ってハングルで書いてくれた。

益斎公派という派らしい。
8代前までの墓は、その末裔たちが管理しているらしい。
そして、直近の曽祖父母のお墓は、尚州にあり、今も亡くなったお兄さんの長男が管理していると教えてくれた。

その場でそのお兄さんの長男に連絡をしてくれた。

「やーチョッカや〜チャグアボジだー」という入りだけで、ニヤっとする。
(韓国ドラマで見た光景やん)

今から墓参りに付き合えるか?と言ってくれたようだが、
そんなド平日にいきなり言われて、仕事もあるのにつきあえるわけもなく。

Bさんは「今から行きますか?」と言っていたけど、私は…


おじさんは、改めて
探して訪ねてきてくれてありがとう。
と言ってくれた。

そして、日本でとった戸籍や祖父の写真をもらってもいいか?と言われたので喜んで渡した。

「今度、みんなで遊びに来るからまた来てもいいですか?」というと

「もちろん!」と言っていた。

事務所を出たところで、
今から尚州まで行きますか?と聞かれたけど、私はお断りした。

「お金のことを気にしているなら帰ってからでもいいんですよ」

(やっぱりまだ追加料金いうつもりやん!)

「もちろん、お金のこともありますけど!次回、家族と来た時にします」と言っておいた。

「今日は蔚山から帰るの遅いですよね?」と言われ、

「はい!遅いです。そして明日は始発でソウルへ向かいます」

というと

「じゃ、もう会えないね」と
約束していたごま油をお土産にくれた。

本当にお世話になりました。
すごく感謝してます。
AさんとBさんがいなければ
こんな奇跡の出会いはなかったと思う。

「とにかく尚州へ行くだけでいいや」
と思っていたのに、ここまで進展できるとは想定外でした。

大邱にはまた来るぞ、
そんなことを考えながら、帰国しました。

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