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やっと来れた!

朝、8時過ぎにBさんはオフィステルの下まで来てくれた。

タクシーではなく、自家用車なので
助手席に促された。
スマホのナビを入力して出発🚗

日本語での挨拶、自己紹介、その後の会話もスムーズで
やっぱりお願いしてよかったなぁと思った。

年齢はどうやら1つ違い。
(私が上)

道中でも、祖父についての話をした。
最終目標は「墓参り」ではあるけど
私にとっては、その地へ行くというそれだけでも十分なのだと話した。

実はそんなに期待もしていなかった。
祖父が生きていたら100歳超え。
70年以上前に日本で亡くなった人の痕跡を韓国で見つけることなど
無謀なことだと思っていた。

だから、祖父が生まれたその土地へ行き
いつかみていたであろう景色を見れるだけでよかった。

出発して45分ほど、
「本籍地の番地はこの辺りです」と言われた。

(大邱から1時間半と聞いてたのに
案外近かったな…)

そう思ったものの、
何度もNaverMapでみた風景に似ている(気がした)

やっぱり田舎だったなぁ…

ここです、と言われたそこは果樹園のようで、そこにいた人にBさんが話をしてくれた。

「上の方にお墓があるそうです。」

許可をもらってそこまで入っていくことにした。

大きなお墓が、三基。

「もしかして…」と一瞬思ったが
全然関係ない名前だった。

そんな簡単に見つかるわけないよね。

ていうか、こんな感じで先祖のお墓も放置されてるんかなぁ。

なんの情報も得られぬまま、車に戻り

「住民センターに行ってみましょう」

そう言ってナビに入力していたBさん。

「?…ここから90キロだって。」

え?

私も地図を見てみた。

漢字に変換された地名が尚州じゃない。

は?

Googleマップ、Naverマップ、カカオマップ

どれをみても違う。

「あの…これ…」とスマホを見せると

「あーそれは違うところですよ。ヨンチョンです」

「あ、いやそうじゃなくて…
現在地がここになってますけど?」

「ええっ!😳」

ナビを入れ間違えたみたいです。
全く別のところへ来てました^^;

(そらここに墓もないわ!)

気を取り直して、
ナビを入れ直して
再び出発。

(6時間契約やのに1時間半ロスやん!)

まぁまぁまぁ。

そこからまた尚州へ。

高速の降り口でたしかに「산주」を確認。

そして、やっぱりド田舎。

高速バスターミナルから1日5本しかないバスと、マウルバスを乗り継いで、たどり着いたとして
帰れなかったかもしれない…

そんなことを考えてると
村の中へと車は入っていく。

正確な番地を検索しながら

「ここですね」

家はある。
でも新しい。

100年以上前からある家ではない。

Bさんが家の中に声をかけてみる。
応答はない。

家の前の倉庫のようなところで
若い男性が仕事をされていた。

「昔、ここに住んでた人を探してる」的なことを説明したと思う。

「ここの家の人は亡くなって誰もいません。前の家ならわかるかも。」

そういわれて、道の向かい側の家にいく。

「계세여〜?」

出てきたのはかなり高齢のおばあさん。

Bさんが説明をして、
この住所に住んでた方を探している、と話す。

奥から、中年の女性が出てくる。
韓国語で何か言っている。

私を見たら鳥肌がたった…
足まですごい鳥肌だ!

みたいなことを言ってる。
(たぶん)

おばあさんがこの人は霊感があるから、て言ってる(たぶん)

何?怖いよ〜

でも村の町?みたいな人を紹介してくれて、電話してくれた。
そこへ行けばわかるかもしれない、ということで家を教えてくれた。

最後はにこやかに、見送ってくれたので、怖かったけど

ま、いっか。

その村の長?の方の家に行くと
庭の手入れをしていた上品な女性。

電話で紹介されたことをいうと
快く家に入れてくれた。

(うわぁ。韓国の家。ちょっと金持ちの。)

私はちょっと違うテンションで興奮していた。
そして、氷を入れたミルクコーヒーを出してくれる。

(うわぁ!リアルー!韓国の家でコーヒー出してもらったー!)

私は祖父のことより、この体験にワクワクしていた。

Bさんが説明してくれた。
どうやら慶州李氏で墓地を管理しているはずだから、そこに聞けばいいということらしい。

「なんで慶州李氏だとわかったのか?」と聞かれて、戸籍に書かれた本貫のところを見せた。

「確かに慶州李氏ね。」

そこから何件か慶州李氏の事務所に電話して問い合わせてくれた。

慶州李氏には12の派があるらしい。
その派がわからないと、お墓の管理のこともわからない、ということだった。

もちろん祖父の実家のこともわからない。
100年ほど前の住人のことはやっぱりわからないか…

そのお家の方にお礼をいい、車に戻った。

Bさんから
「慶州李氏の派がわからないと、お墓はわからないらしい。住民センターに行っても何もわからないかもしれない。どうしますか?」
と言われた。

私はせっかくここまで来たし
もう自力で来れることはないだろうと思った。

「何もわからないかもしれないけど、行ってみたいです」

と答えた。

「ん〜じゃ、行きましょうか。」

住民センターで、私にはどんな担当なのかわからないけど
Bさんが説明してくれた。

すると、チーム長に通された。

日本から持ってきた戸籍。
私のパスポートなど全部見せて
Bさんが詳しく説明してくれた。

しばらく待っていると…

戸籍にある名前の中で
祖父の兄の息子さん、次男さんはご存命だとわかった。

「えっ!そうなんですか!」

「ご存命だし、連絡先はわかる。
でも個人情報なので教えることはできない。」

そら、そうですよね〜…

Bさんが食い下がる。

「その方に連絡して説明してもらえませんか。日本から、あなたの父親の弟の孫が来ていることを。」

そして、折り返しの連絡先にBさんの携帯番号を伝えてくれた。

「チーム長が連絡して、どうなるかわかりませんがちょっと待ってみましょう。」

そう言って住民センターを出た。

戸籍では祖父の兄は大邱で亡くなったことになっている。
そのご存命の息子さんが大邱在住かどうか、念のために聞いてみましょう

そう言ってBさんはもう一度住民センターに入って行った。

戻ってきたBさんが
とてもいいにくそうに…

「チーム長が連絡してくれました。
でも詐欺電話とかと勘違いして、話も聞いてくれずに切られたそうです。」

そらそうやね。
いきなり、日本から親戚と名乗る人が来てますけど?
とか言われたら、誰でも疑うよ。

当然の対応だと思った。
それより、すぐに本当に連絡をしてくれたことに感謝した。

「そして、大邱に在住てことは確認できました。」

もちろん個人情報なので、教えられないと断られたそうだ。
でも質問の仕方をかえて、大邱から大邱じゃないか?と聞いたら

大邱だと言われたらしい。

大邱なんだ。
大邱にいらっしゃるんだ。

残念な結果ではあったけど
戸籍にある人が、確かに今この時代の韓国にいらっしゃるんだ。
大邱にいらっしゃるんだ、とわかり私としてはもう十分だった。

複雑な思いで、大邱に戻っている時にBさんの電話が鳴る。

住民センターのチーム長からだった。

「お父さんの名前が出たことがちょっと引っかかったようで折り返し電話がありました。もう一度、説明したら話を聞いてくれました。ただこの後どうするかはその方次第です。Bさんの電話番号を伝えてます。何かあればそこに連絡があるはずです。」

Bさんは電話で

「감사합니다 팀장님!🙏」と叫んだ。

私は横で聞いていてドキドキした。
電話のあとBさんの説明を聞いて、泣きそうになった。

もうあとは待つしかない。
ハラボジの甥っ子さんからの電話を待つしかない。

大邱にいられるのはあと2日。
連絡があるといいけど、なかったとしても仕方ない。

自分で想像していた以上の展開に
頭が混乱していた。

帰りの車中では、そんなことをずっと考えていた。

(運転席のBさんは睡魔と戦っているようで
ちょっと怖かったけど、)

これでも十分だ。
何もないと思っていたのに、ここまでわかったんだから十分だ。

そう思いながら、大邱へ戻った。

祖父の兄が亡くなったとされている住所を探して、区役所などに行き
古地図まで出してもらい、その地にも行った。

6時間どころか、ほぼ1日付き合っていただいた。

宿に戻ってからも、もしかして連絡あるかもと思ったけど
その日は何もなく終わった。

当然よね。
気持ち悪いよね。
信用ならんよね。

と、自分の中で納得させて
やるだけやった。
これで満足してもらおう。

あとは、先祖の伝言を思い出した。
「お墓に行けなかったら、韓国のお寺で灯火してほしい」

そうだ。
今度いつ韓国来れるがわからんし。

すぐ近くで行けるお寺がないか検索。
翌朝、行こうと思った。

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