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考えるって動的なんだ!『はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内』(野矢茂樹)
人は毎日数千・数万回の意思決定をしてるというけれど、それでは人はどれだけ考えているか?
そもそも考えるとは「うーん」と腕組みをして思索にふけっていることでしょうか。
いや、考えるってこういうことじゃないかな?と口語調で心にやさしく語りかけ、哲学の道にいざなってくれるのが本書です。
植田真さんのイラストレーションは挿絵を越えてもう一つのストーリーにも仕上がっています、ぜひ紙の本で読むのをオスス
ラッセルの半生とともに学べる漫画!『ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門』
「よくぞ日本語翻訳版を出版してくれた!」と筑摩書房に感謝しかありません。
20世紀を代表する哲学者であり、数学者・論理学者のバートランド・ラッセル。
本書はラッセルの半生を振り返りながら論理学を学べるオールカラーのグラフィック・ノベルです。
舞台は晩年のラッセルの講演。そこで語られる半生を回想という体裁で描いていきます。ユニークなのは合間に制作者たちの「プロセス」が挿入されているところ。
デカルトの『方法序説』から学べること
今週末、初参加予定の猫街倶楽部の読書会のテーマがデカルトの『方法序説』。というわけで、感じたことをここにまずメモします。台風大丈夫かなあ。
拝読できておりません(読まなきゃ!)が『デカルトの憂鬱』よろしく、「デカルトの○○」という見出しを付けて、学びや気づきを引用交えながら書いてまいります。
まずはもっとも「これは!」と感じた2つの引用です。
デカルトの開き直り(中略)われわれの意志はもとも
『自省録』(マルクス・アウレーリウス)を読んで
2000年読み継がれてきた瞑想記録ノートであり、古来数知れぬ人々の心の糧となってきた名著。関連本2冊を経由してようやく本書にたどり着く。やっぱり原著はいいですね。
『ラ・ロシュフコー箴言集』のように、そのときに綴ったメモにひとつひとつナンバリングしてある構成。短いセンテンスから成ってます。パラパラとめくってみて好きな箇所を見つけるように読んでいい。
印象的なのは、自分への問いかけです。「君は〜
『寝ながら学べる構造主義』(内田樹)を読んで
3.11以降、人はカラオケでサザンの「TSUNAMI」を歌いにくくなった。
何かの本に書かれていてハッとした記憶があります。withコロナというワードも出始めている昨今ですが、やはり前と後で変化は起きている。
ただ、どこが変わった?と聞かれると意外にもそんな出てこない。いつの間にかそれが当たり前の世界になっているからです。
半世紀後に「いま」をマクロで振り返れば「21世紀はじめの日本社会に固
『誰にもわかるハイデガー: 文学部唯野教授・最終講義』(筒井康隆)を読んで
『誰にもわかるハイデガー: 文学部唯野教授・最終講義』を読みました。
『センスメイキング』ではハイデガーをやけに持ち上げている、そんな印象を持ちました。人は物心ついたときから世界を解釈し、世界と関係しながら存在している。
つまり、人は文脈のなかで生きていると。このあたりは社会学にも通ずるなあ。
で、そこでハイデガーを知りたいなと思い、本書を手に取りました。装丁は黄色でボリューム感はほどほど。
『マンガ 老荘の思想』を読んで
『マンガ 老荘の思想』を読みました。
孔子が上下関係を大事にする意識高いサラリーマン系なら、老荘はスローライフ系。いまの時代こそ通用する思想であり、その原点ともいえる老荘の思想。気になっていて、ようやく手に取りました。
中国の春秋戦国時代、争いが絶えない世の中。老荘の思想はそういった時代だからこそ生まれたというのがよくわかります。
欲を無くせば出世もなく、恨まれないから争いもない。戦国の世に
『はじめての大拙』(鈴木大拙・大熊玄)を読んで
『はじめての⼤拙――鈴⽊⼤拙 ⾃然のままに⽣きていく⼀〇⼋の言葉』を読みました。
読んで、思い出したお話です。
禅で、恥いた思い出。学生時代、急に禅というものを知りたくなり、「いざ、鎌倉へ」。禅宗といえば北鎌倉しかないと、たしか建仁寺で座禅を体験しました。
誰でも参加可能。パッと周りを見渡すと、意識の高そうなサラリーマン、座禅が日常の一部になっているようなパジャマ姿のおじいちゃん、あとちょっ
『人生論ノート』(三木清)は、立川談志も驚くような本質をつく名言だらけ
「努力とは、馬鹿に恵えた夢である」。この言葉を残したのは立川談志。
自らの人生経験や、あらゆる思考の果てにアウトプットした「◯◯とは〜である」という言葉には、並々ならぬ説得力が宿ります。(自分ならではの言葉の定義や辞書ができたら、それは素敵なことだと思います。)
今回は、日本の哲学者である三木清。西田幾多郎の弟子にあたります。そんな彼の『人生論ノート』。つまり難解なのでは?
『嫌われる勇気』
『急に具合が悪くなる』(宮野真生子・磯野真穂)を読んで
いつか読まねばならないと思っているのが『「生と死の境界線~「最後の自由」を生きる』。ガンに冒された精神科医の岩井寛氏が目に見える形で迫りくる死についてその直前まで語った本。
岩井寛氏が自分に残された時間がわずかであることを自覚し、口述筆記を松岡正剛氏に依頼することから始まりました。
さて、本書はガン患者の哲学者・宮野さんと人類学者・磯野さんが交わした書簡形式の本です。前述の本と同様に「生と死」
『暇と退屈の倫理学』を読んで
「人間は、退屈に耐えられないところからすべてがはじまる」。立川談志がそう言ったと、たしかにメモしています。本書によればパスカルをはじめ、先人たちもどうやら同じことを考えていたようです。
「ハイデガーの退屈論をユクスキュルの環世界の概念に当てはめてみると」であるとか「ラッセルの退屈論はここが甘い」などといった、いわゆる論文的なアプローチ。
「暇」と「退屈」といった抽象的な対象に対して、巨人の肩に
『さよならソクラテス』(池田晶子)を読んで
子供の頃、不思議に思っていたことがあります。それは親と子の偶然性です。誰もが父と母という親の存在から生を授かるわけですが、「その親でなかったら自分は本当に生まれなかったのか」ということ。
たとえ引き継ぐ遺伝が変わったとしても(要するに親がちがっても)「この自分」は世に存在するはずだ、そんなことをふわふわと考えていた時期がありました。
『14歳からの哲学』でおなじみ(ほんとにその頃お世話になった
タモさんと架空対談したベルクソンって誰?
『超時間対談』タモリ×ベルクソンまず、導入だけ引用します。
ぼくは確かに早稲田大学の文学部で西洋哲学を専攻したが、学生時代は専らモダンジャズ研究会の司会とマネージャーに忙しくて十分な勉強はしていない。
どういうことでベルクソンなどという方と対談するハメになったか解らないのだが、まあ、あの人は『笑い』という名著も書いているということだろうしと、そのへんの恐ろしいほど安易な企画に編集部が乗ってしま
『子どものための哲学対話』(永井均・内田かずひろ)を読んで
タイトルに明記してある「年齢」が想定している読者層なのかは置いておいて『14歳からの哲学』をたしかちょうど14歳の頃に読んだ。本質にせまるような問いかけ、哲学的な言い回しとロジックにヒーヒーいいながらページをめくった記憶があります。
さて、本書はタイトルに「子供のための」とあります。中学2年の「ぼく」と家に住み着いた猫・ペネトレの対話の記録という体裁で、たしかに平易な言葉で語られていて読みやすい