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『人生論ノート』(三木清)は、立川談志も驚くような本質をつく名言だらけ

「努力とは、馬鹿に恵えた夢である」。この言葉を残したのは立川談志。

自らの人生経験や、あらゆる思考の果てにアウトプットした「◯◯とは〜である」という言葉には、並々ならぬ説得力が宿ります。(自分ならではの言葉の定義や辞書ができたら、それは素敵なことだと思います。)

今回は、日本の哲学者である三木清。西田幾多郎の弟子にあたります。そんな彼の『人生論ノート』。つまり難解なのでは?

『嫌われる勇気』の岸見一郎さんのオススメでだまされたと思って読んでみましたが、まったくそんなことはありません!

本書には、三木清の“生きた”言葉がたくさん綴ってあります。クリップだらけになりそうなので、そのなかでも厳選してご紹介。

執着について

執着する何ものもないといった虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか。執着するものがあるから死に切れないということは、執着するものがあるから死ねるということである。

深く執着するものがある者は、死後自分の帰ってゆくべきところをもっている。それだから死に対する準備というのは、どこまでも執着するものを作るということである。

一般通念に対して、我々が見落としている面に光を当てているような印象を持ちます。その逆説的な提示にはハットさせられる。

死に対する準備とは、どこまでも執着するものをつくること。虚無では人は死に切れない、どうせなら執着してしまおう。

幸福について

愛するもののために死んだ故に彼等は幸福であったのでなく、反対に、彼等は幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである。

日常の小さな仕事から、喜んで自分を犠牲にするというに至るまで、あらゆる事柄において、幸福は力である。徳が力であるということは幸福の何よりもよく示すところである。

幸福をはじめとして、人間の喜怒哀楽には力があるんだ。感情を大事にしよう。

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。

幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。

幸せは自分の内にある。そんなことをよく聞きますが、「内」と「外」の表現でいえば、三木清はここも逆なんですね。

幸福は「外」に現われる。もっといえば、他人を幸福にしてこその幸福。いい感染が起きるといいなあ。

嫉妬について

嫉妬とはすべての人間が神の前においては平等であることを知らぬ者の人間の世界において平均化を求める傾向である。

比較可能性が嫉妬をつくりだす必要条件ととらえていましたので、ふに落ちました。「嫉妬とは、平均化を求める傾向である」。

よくもわるくも、周りさえ見なければ、嫉妬は生まれないともいえるのではないでしょうか。

嫉妬心をなくするために、自信を持てといわれる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって。嫉妬からは何物も作られない。

人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。

続きます。

ではどんな人が嫉妬しないタイプであるのか。ズバリ、個性的であること。それは自信・自分を持つこととも言い換えられる。

成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。

不成功と不幸はちがう。同一視してははらない。たいせつな言葉だと思います。

娯楽について

娯楽は生活の中にあって生活のスタイルを作るものである。

娯楽は単に消費的、享受的なものでなく、生産的、創造的なものでなければならぬ。単に見ることによって楽しむのでなく、作ることによって楽しむことが大切である。

三木清は「自分自身がつくり手であろうよ」ということを繰り返し述べています。ツールが発達し、誰もが表現できるいまの時代に合っている気がしますね。

旅について

旅の心は遥かであり、この遥けさが旅を旅にするのである。それだから旅において我々はつねに多かれ少かれ浪漫的になる。

浪漫的心情というのは遠さの感情にほかならない。旅の面白さの半ばはかようにして想像力の作り出すものである。旅は人生のユートピアであるとさえいうことができるであろう。
旅は習慣的になった生活形式から脱け出ることであり、かようにして我々は多かれ少かれ新しくなった眼をもって物を見ることができるようになっており、そのためにまた我々は物において多かれ少かれ新しいものを発見することができるようになっている。
(続き)平生見慣れたものも旅においては目新しく感じられるのがつねである。旅の利益は単に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、

――全く新しいといい得るものが世の中にあるであろうか――

むしろ平素自明のもの、既知のもののように考えていたものに驚異を感じ、新たに見直すところにある。

旅は、ふだんの生活様式からの逸脱。旅で浪漫を感じる要素は「遠さ」。旅の利益は、既知の事柄がこれまでとちがって感じられ、そこに新たな発見があること。うん、おもしろい。

孤独について

すべての人間の悪は孤独であることができないところから生ずる。

すべての悪は“孤独から始まる”ではなく、“孤独であることができないところから”というセンテンスに共感を覚えます。

ちなみに立川談志はこんな言葉も残しています。「人間は、退屈に耐えられないところからすべてがはじまる」。

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。

孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」――それは物質のものでなくて人間のものである。

孤独は大勢の人間の「間」にあるものとして、空間の如きものである。すなわち、孤独は山になく、街にある。

鋭いなあと思いました。孤独とは、人間がつくり出した街社会に付随して生まれた概念なのかもしれません。

本書には他にも感情がゆれ動くような言葉がたくさん登場します、オススメです!

というわけで以上です!

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