『自省録』(マルクス・アウレーリウス)を読んで
2000年読み継がれてきた瞑想記録ノートであり、古来数知れぬ人々の心の糧となってきた名著。関連本2冊を経由してようやく本書にたどり着く。やっぱり原著はいいですね。
『ラ・ロシュフコー箴言集』のように、そのときに綴ったメモにひとつひとつナンバリングしてある構成。短いセンテンスから成ってます。パラパラとめくってみて好きな箇所を見つけるように読んでいい。
印象的なのは、自分への問いかけです。「君は〜すべきである」といったかんじ。自分自身への戒めや鼓舞する言葉が、長い年月を経てまったく関係のない人たちに読まれ、その読者の支えにさえなっているという。ここは不思議だしおもしろいなあ。
ソクラテスの考えをいま認識できるのは、その弟子のプラトンが書き残したからで、そのプラトンはアカデメイアという学校をつくり、500年以上も続いたので、その著作が現存している。偶然と縁がそこにある。
で、内容ですが、関連本のときに感じたところとは別に響いたところをクリップします。
罪悪の比較
テオラプラトスは罪悪の比較をするにあたって(中略)色欲によって犯された過失の方が怒りによるものよりも重い、といかにも哲学者らしくいっている。なぜならば、怒っている人間は、多少の苦痛と無意識ながら良心の苛責とを感じつつ理性にそむいているように見える。ところが色欲のために過失を犯す者は、快楽に打ち負かされ、罪の中になずみ、いっそう放縦に女々しく見える。
ふだん言葉にはしないけれど感覚でわかることを言語化してくれるシリーズ。一つの考え方として。
隠居の是非
人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることができるのである。実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠れ家を見出すことはできないであろう。
心の平静を保ちましょう。人はすぐに環境に頼ろうとしていまいます。ひきこもりができる隠居です。ところが著者によれば、環境に依存せずとも、自分の心でコントロールせよと言ってます。ハッとしました。
自由行動とは
つぎのことを記憶せよ。自分の意見を変え、自分の誤りを是正してくれる人に従うのともまた一つの自由行動である。なぜならば君の衝動と判断と、しかり君の叡智に従って遂行される行動は君自身のものなのであるから。
著者のように高い地位にのぼりつめてしまうと、人からの意見を取り入れることは少なくなってくるはず。でも著者は言います。人の意見に従うことも君の自由行動であると。たしかにそうです。従うとあなたが決めているのだから、堂々としていればよい。
というわけで以上です!
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