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論語は使えない。学ぶことの効用を述べただけじゃないのか。

今回も、中国古典名言を論評したいと思います。中国古典の名言は、ちょっと古い感は否めません。現代社会においては、日本の大学教授とかの方が、学問や勉強に関しては、もっといいことを言える人が多いと思います。

学問の目的は実行にある。学問をする者は、ややもすると、実務を離れがちであるが、実務を離れた学問は真の学問ではない。すべて人間のなすべきことをしっかりやって、なお余力があったら、その力をもって学問をすべきだ。

この言葉は、どちらかというと実務重視で、学問的素養もあれば、最強であるということでしょう。ただ、大学教授なんか見てると、学問だけやってることの効用を満喫している人もいるのも事実です。会社勤めとかしちゃうと、バカバカしくてやってられないという研究を一生かけて、やってらっしゃる大学教授の先生とかもいるから、学問だけやる効用というのも、私は大いにあると思います。

知識の狭い人は、ややもすると、自分の狭い考えにとらわれて、がんこ者になりがちである。学問によって知見を広め、広く柔軟な精神状態を保つようにすべきだ。

確かに、学歴や教養がない人は、こういう人が散見されるのも事実ではあるとは思います。といっても、学問をやっても、頑固者になってしまうことは、往々にしてありますから、「知識の狭い人」になるか「学問によって知見を広める人」になるかの、どちらが優れているかは、微妙だと思います。

人はしばしば、自分以下の人で自分に迎合する者を友人としがちである。しかし、それでは自分の向上にはプラスとはならない。自分よりも学問・経験にすぐれた者を友人にもつよう心がけるべきだ。

大学なんかは、そういうところですよね。学問プロパーの大学教授や実務経験が豊富な実務家なんかも来てて、刺激が多いですよね。このnoteブログなんかも、優れた実務家が書いていることが多いので、「フォロー」や「スキ」機能などで、この『論語』の言葉には、合致する現代の文明ツールと言えると思います。

『論語』は、学問や勉強をすることの効用ばかりを述べたもので、世間には、勉強とか学問とか、すごく嫌いな人もいますから、そういう人に対しては、『論語』は、示唆に富まないし、劣等感を植え付けるだけじゃないでしょうか。しかも、勉強や学問をしている人からすると、当たり前のことを述べただけで、新規性がないとも言えます。時代が古いということと、現代社会にマッチしないのではないでしょうか。『論語』の著者の孔子も、どういう学問を専攻されていたのかもわからないですし、現代のほうが、広く学問を積めますし・・・。この程度のことであれば、勉強や学問の意欲を失わない、現代の大学教授とかの方が良いことを言えると思います。加えて、孔子の『論語』の弱点として、中国語の表現の乏しさもあると思います。さらに、孔子の『論語』の説く、勉強と学問の効用は、人あるいは場合によっては、苦役みたいに機能してしまうこともあると思います。日本の司法試験や司法書士試験なんて、その典型かもしれません。アメリカなんかでは、司法試験は、極めて合格率も高いし、年に2回も試験をやってくれるらしいです。日本の文系の資格試験の難しさは、中国に異議を唱えるキャラ設定だから、十分考えられる嫌がらせです。野口悠紀雄さんの『超・勉強法』以来の勉強方法本の出版は、こういう中国の儒教思想の押し付けに対する、今だと、もっと具体的な良い方法はありますよ、という抗議の出版かもしれませんし、そういう本は、単なる勉強のコツを述べたもので、「文化」までにはならないよ、という孔子の『論語』のNG本とも解釈できなくはないですよね。

ところが、孔子の『論語』みたいな古い本も、現在の国家運営マニュアルみたいなものとして、脈々として、裏で生きていて、「NHKの教育テレビ」や「大学」の存在なんていうのも、その一環とも言えるのかもしれません。現に日本史でも、聖徳太子の十七条憲法の「和を以って貴しとなす」なんていうのは、もろに、孔子の『論語』の国家運営マニュアルとしての側面が表出したものと言えると思います。

しかし、孔子の『論語』って、個人の生きる道標や道しるべになる本とも言えるかもしれません。孔子の『論語』は、「エリート主義」のアドバイスだと思いますし、単なる処世術や勉強法に関して述べたものに過ぎない本とも解釈できます。古代のカリスマが言ったことを、体系的にそういうのを表した本ということでは評価できるかもしれませんが、そこまでリスペクトする本ではないとも解釈できます。この程度であれば、学問(経済学・法学・政治学・政治思想・哲学)のほうが面白いかもしれません。それに対して、キリストの『聖書』は、勉強が嫌いな人でも、付いていける、カリスマの自然な文言を集めたものと言えます。このブログでは、キリストの『聖書』やイスラム教の『コーラン』や仏教のブッダや日本にローカライズされた仏教である親鸞や日蓮や空海も検討していこうと思っているので、ぜひ楽しみにお待ちください。

ただ、孔子の『論語』って、日本にある下手な宗教にもとづくより、よっぽど、自然で良い提言をしてくれているような気がするのは確かではあるが、なにぶん、エリート主義の提言だし、学歴や教養がない人や勉強が嫌いな人は依拠するのが難しい本だと思います。加えて、孔子の『論語』は、宗教団体のようなものが存在せず、仲間意識を醸成できないという致命的欠陥があると言わざるを得ません。ちょっと納得いかない提言もありますが、かつての古代のカリスマが言った、人としての常識を述べた本とも言えるかもしれません。孔子の『論語』は、「宗教」というより、それより1つ上の「文化」として存在しているというところじゃないでしょうか。中国や韓国や日本は、「儒教文化圏」とも言いますから・・・。

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