「文化にする」を考える①
この週末、15年続いたひとつのイベントが終わる。
開催場所として関わり始めて7年目となるので、約半分。
関わった人それぞれにみな、きっといろんな想いがある。
明日からがイベント本番なのだけれど、終わることと、文化についてを考えてみたい。
なぜ文化について考えるのか
15年、イベントを続けるというのはなかなかに大変なことだと思う。実際に開催側となってみると、参加者でいるだけではわからない苦労がたくさんある。
理由はどうあれ、10年以上続いたイベントが終わる。その後に残るものってなんなんだろうと、ふと思った。残るものがあるとすれば、思い出と、そのイベントが作った文化だろうか。そんなことを考えたのがきっかけのひとつ。
加えて、移住して思うことも理由のひとつで。今までわたしは、あまり「文化」と言われてもピンとくることがなかった。けれど、限界集落に暮らすようになってからは少し違う。文化との距離が縮まった。気がする。その中で、受け継ぐべきもの、新たに生むべきものが、少しずつ見えてくる。じゃあ、どうやって文化は始まって、どうやって受け継がれていくのだろうと、暮らすなかで疑問が深まる。そんなことが、もうひとつの理由。
そもそも文化って
学者ではないので、まずは「文化」についてもう少し詳しく知るところから。
取り急ぎGoogle先生に聞いてみると
と、AI概要欄にて教えてくれた。他にも色々書いてあったのだけれど、この一文がピンときた。ちょうど、考えていたことと同じだったのだ。
文化って、ひとりではつくれない。と、思っている。ひとりの場合、どちらかというと哲学のようなイメージだろうか。ではふたり以上で、同じ文化をつなぐ/つくる場合、言葉と行動で共有する必要があるはずで。なんてことを考えていたら、なんてことはない語源だった。
もう少し、調べてみる。
このなかでは、今回考えたいのは③ 自然に対して、学問・芸術・道徳・宗教など、人間の精神の働きによってつくり出され、人間生活を高めてゆく上の新しい価値を生み出してゆくもの。だ。つまり、心から始まり、豊かな暮らしへと至るもの。と言えるだろうか。それがひとりではなく、ふたり以上の人との共通認識となれば、文化。そんな気がしてきた。しかしここで、「自然に対して」とわざわざ書いてあるのがおもしろい。
イベントから文化を生む
話は戻って。イベントにおける文化。またはカルチャー。それってどう生まれてくるのか。そして引き継がれることはあるのか。
生まれる場合、まずはイベントのコンセプトからだろうか。大切にする価値を、言葉にする。そして運営側が全員、共通認識としてその言葉を理解する。理解した上で、行動に移す。ここまでが、最低限のワンセットだろう。運営側の哲学。とも言えそうだ。
運営側に哲学ができて、それに基づいて行動できたとする。今度はそれをみたお客さんが、どう思うか。あ、それいいなと思って自分ごとにするかどうか。そこが文化となるかどうかの境目のはずで。
生まれるまでの流れは、きっとこんな感じ。ここまでを今日は整理しておきたかった。明日からのイベント。台風接近で大雨予報だけれど、ラストイヤー、どうなるのか。最後に残るのはどんな文化なのか、結局ないのか。受け継がれるのか、どうなのか。
しっかりと感じておきたい。
ということで、今日はここまで。
また連休明けに書くことになりそうです。