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「ていねいに生きる」ができない時に。

可能な限り、ていねいに生きたいと思っている。
いつから思っているのか忘れたけれど、たぶん、10代前半の頃から。
自分の暮らしに関わる生命や物に対して、誠実でありたいと思っている。

けれどそれができない時も、やはりあって。
にんげんだもの。当たり前だ。

と、知っているのだけど。できない時、どうしても自分を責めてしまう自分がいる。なんでだろう、どうしたら自分を心から認められるのだろうと、何度も思うことがあるけれど、なかなか変えられそうにもない。
ほんと、なんでなんだろう。

ただ、少しずつ歳を重ねてきたことで、見えてきたこともある。
「ていねいに生きる」が難しい時というのは、やはり疲れている時なのだ。
身体的に、というよりは精神的に。もちろん、体の不調が原因で、心が疲れてしまうこともあるのだが。
そして、心が疲れている時は、体を動かすのが一番自分には合っている、ということもわかってきた。しっかり運動して、胃腸が疲れすぎない程度に美味しいものを食べて、よく眠る。これができれば、大体は回復する。

けれど、それもできない時もある。できない、というか、時間が取れない時だろうか。そういう場合は、大抵何かの締め切りが迫っている時なので、そこまで駆け抜けてしまうのが一番だ。その後、いつもより多めに寝たら大体いける。その後、ていねいさを取り戻すように生きていく。

というくらいには、タフな人間だと思うのだ。
だから多少の無理はできるし、苦ではない。

それゆえに、冒頭のように自分を責めてしまうのかもしれない。もっとやればできるでしょと、自分にプレッシャーをかけているのかもしれない。

でも、自分にとって「ていねいに生きる」ってなんなのだろうか。生命や物に対して誠実に。それは昔から今も変わらないベース。けれど同時に、自分自身にも誠実でいることが必要なんじゃないかと思うようになってきた。仮に、疲れている時の自分の状況と同じような他者がいたら、「休んだらいいよ」と声をかけるはずだ。自分にできることなら代わりになにかするかもしれない。
その目を自分に向ける、ということが出来ていない。苦手なのだ。そしてそれが出来るようになったなら、何かが変わる気がしている。


「ていねいに生きる」ができない時。
その時こそ、自分自身に目を向けるのだ。
そこでもう一度、いまの自分にとっての「ていねい」を考えるといい。休みが必要なら休みながら。

そうすることができたなら、また新しい「ていねいに生きる」を始められる。
きっとそうやって、変わっていったらいいのだろう。

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三宅コータ
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