暮らしという秩序を取り戻す。その意識だけでも心は軽くなる。
「暮らしという秩序を取り戻す」
わたしの暮らしの師、四井真治さんの言葉。
今現在の人類の暮らしは、地球の始まりの延長線上にあるものであり、その原理原則は40億年変わらない。だから、現代の暮らしにも、その変わらない仕組みを取り入れたなら、自ずと全てはつながり、持続可能な暮らし(=秩序)がそこにある。という意味の言葉だ。
この言葉に、心が救われた。自然で遊ぶことが好きで、それを仕事にもしている。暮らしも自然との距離が近い。だからこそ、気候変動に危機感を覚えるし、より良い地球環境のため、自分の人生全てを遣って行動をしていきたいと思っている。けれど、何から手をつければいいのか、あまりわかっていなかった。だから四井さんの暮らしを学び、実践し、この言葉に出会ったとき、ようやくやるべきことが腑に落ちたような気持ちになった。
具体的な学びは今回は割愛させていただきますが、この「暮らしという秩序」という言葉、それを意識して暮らすだけでも心が軽くなり、もっとよく生きようと思えるようになったのです。今回は少し、そのことについて。
秩序というと、どこか堅苦しいイメージがあるかもしれない。四角四面、ルールは必ず守りましょう。のような。でもここで言いたいのはそうではなく。そのものが、あるべき場所に収まること。そしてそのものが、地球全体の仕組みと繋がって、循環していること。そう認識しています。だから、堅苦しいというよりも、心地よい流れのイメージ。
…とここまで書くと、どこかスピリチュアルな話に思えてしまう。のですが実態はそうではなく、物理、化学、生物学などで証明できるものたち。だからこそ心地よい。
例えば生ゴミ。生きていくには食べることが欠かせなく、食べる時には何かしらの“生ゴミ”が出てしまう。その中身といえば、使いきれなかった野菜の端や、獣や魚の骨など。それを仮に燃えるゴミに出してしまえば、水分を含む分、余計に化石燃料を使うことになってしまう。けれど、その“生ゴミ”を、落ち葉と一緒に混ぜ込んで、半年〜1年ほど発酵させれば、そこにゴミなど一切なく、綺麗な堆肥が出来あがる。
そして出来あがった堆肥を使えば、美味しい野菜や果物、穀物、豆などいろんな作物を新たに育てることができる。この流れが秩序であり、地球が続いてきた仕組み。そしてヒトは、その流れを、仕組みを取り戻し、続けていくことができれば、また豊かな自然を楽しむことができる。
そんな未来を信じられる。
この、「暮らしという秩序」を取り戻すということ。家の掃除をすることだって、きっとそうだ。綺麗で整った空間に居ることは、思考をクリアにしてくれる。その掃除で出たゴミも、なるべく地球の原理に沿った還し方ができれば最高だ。
そんな日常の些細な行動、ひとつひとつに秩序があれば、心はもっと軽くなる。正しいことの白の中にいる。そんな感覚。それこそがきっと、豊かさだ。
まずは意識からでも始めてみる。
たったそれだけでも、何かが変わっていくはずで。