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なぜ生きるのかを考え、23歳で限界集落に移住した。そして8年が経った。

「あなたはなぜ生きるのですか?」

大学3年生のとき。
初めてのゼミの授業での、僕たち生徒に向けた教授の言葉。
商学部で保険論を研究していた教授のゼミで、まさかそんな質問が飛んでくるとは予想もしていなかった。けれど思い返せば、その瞬間、僕はそんな先生に惹かれていたのだ。

ゼミ生がそれぞれに、戸惑いながら自分の考えを述べていた。
結局、先生の伝えたかったこととしては「人はみな、幸せになるために生きている」ということだった。そして幸せになるためには、考えないといけない。考えるだけではダメで、考えながら動く、動きながら考えるのだと話は続く。

思えばゼミの授業中、保険の話に触れることはほぼなかった。保険論のゼミなのに。むしろ毎回「みなさんは幸せになるために生まれてきたんですからね」と、柔らかな表情で伝えてくれていた。そんな教授のゼミを揶揄する声もあったけれど、僕にとっては大切な恩師で、今の人生観を導いてくれた人でもある。

▷ゼミでの学びは今にも生きている

そんな教授のもと2年間学び、いまの自分に染み付いている言葉や行動がいくつかあります。

  • 人は幸せになるために生きている。

  • しかし幸せになるためには、考え続けなければならない。

  • 考えながら動き、動きながら考える。

  • 一歩前へ。

  • 日々、自覚できる自己成長を。

後半の3つは、先生のゼミのモットーだからと、ことあるごとに口にしていた。けれど時々、そんなモットーが増えたり減ったりしたりもした。そんなところも愛嬌に思えてしまう、そんな人柄の先生なのだ。

そんな先生が、何度も何度も口にしていた言葉たち。
気づいたらそれはそのまま、自分の人生の価値観へと移り変わっていった。

▷世界平和と就職活動

上記の学びは、就活をしていた頃にもしっかりと発揮されていた。
だから、自分の幸せってなんだろう。そのために就くべき仕事とは。と、当時の自分なりに考えに考えた。

僕は小学校高学年か、中学生の頃から、世界平和について興味のある性格だった。『世界がもし100人の村だったら』という本の特集を見たことがきっかけだったように思う。今の目の前の暮らしが全てではないこと。想像もつかないような現状で暮らす人もいること。みんな生きているということ。そんなことを幼いながらに知り、感じた。その頃からだ。

『世界がもし100人の村だったら』
TVでしか見たことがなかったのでこれを機に、また読んでみようとポチってみた。

だから就活の時も、世界平和について自分なりに考え、それが実現できるような仕事ってなんだろうと思いを巡らした。政治家、自衛隊、メディア関係…
自分のイメージする暮らしと、仕事と平和とがリンクするものを探すのは難しかった。ので、就活を進めながら考えることにした。本当はもっと前から準備すべきだったのかもしれないと今になって思うけれど。

結果から言うと、僕は証券会社に就職した。
平和について考えたとき、ふと身の回りを見渡してみて、日本って本当に平和だと言えるのだろうかと疑問に思った。
確かに、直接戦争をしている訳ではないし、国内の治安も、他の国と比べると安定しているのかもしれない。けれど、年間2万人を超える人々が自ら命を絶つような国だ。こころを病む人も増えている。日本に暮らす一人の人間としては、このことが気がかりだった。
では、みんなが自分の暮らしを楽しめるようになるには。商学部で学んでいたからだろうか、お金にまつわる不安や問題が解消されれば、自分の暮らしを楽しむことができるようになるのではと考えた。そのために、個人のお金を増やすお手伝いができる証券の仕事がいいのではと。

▷会社での仕事は嫌ではなかった。けれど。

大学を卒業し、研修も終わり、大阪に配属が決まった。
証券会社の新入社員の仕事は、とにかく新規開拓だった。1日100件以上の家々を周り、雨で効率の悪い日は200件以上の電話をかける。
どちらかというとタフな方なので、その仕事自体は苦ではなかった。それに、少しずつお客様との関係性ができてくる感覚も嬉しく楽しい。上司や先輩にも恵まれていた。同期も仲がいいし、緊張はあれど職場の居心地も悪くなかった。

けれど、何か違和感を抱いていた。

就職前、自分がしたかったことは、お金に困っている人の助けとなる仕事。
しかし、会社から求められるのは、利益の最大化。
乱暴な言い方をしてしまうと、お金持ちのお客様のお金をたくさん増やした方が会社にとっては良いことなのだ。そして会社が良い状態になるということは、属する社員にも恩恵がある。そうして経済を回していけば、やがて国民の生活も上向いていく。
会社が求めているのは利益の最大化であるなんて、本来考えなくてもわかることだし、資本主義の社会としては間違っていない。
でも、自分のしたかったことと、現実とが少しずつ乖離していくのを感じる。

当時はそんなモヤモヤ、違和感が掴みきれず、街を歩きながら考えることも多かった。

でも、どうしたらいいのかわからなかった。
理想と現実が違うなんてことはよくあることで、それを飲み込んで働くのが大人なのだと、分かったようなフリもできなかった。
だからいろんな人に会って、いろんな本を読んで、情報を集めてみることにした。

そこで、いま暮らしている上山という地域と出会った。
そこからは早かった。

上山は人口150人ほどの小さな集落で、万葉集にもその名が歌われているという。

▷限界集落との出会いと即移住

きっかけはネットニュースだった。地域おこしの先端を走っているという記事を見て、興味が湧いた。就職して新聞を毎日読むようになってから「地方が消滅していく」といった趣旨の記事が気になっていたのもある。とにかくその頃から「日本には田舎が必要で、その田舎から日本を元気にしていきたい」と思うようになっていたのだ。

とはいえ当時の僕に上山とのつながりは一切なく。
facebookページにあったメッセージフォームを唯一の頼りに、見学させて欲しいという旨をダメもとで送ってみた。すると意外に、すぐ返ってきた。
翌日、居ても立ってもいられず早速行ってみることにした。メッセージの返信をくれた方(今も一緒に棚田の再生をしている)が、親切にも突然現れた見ず知らずの若者を案内してくれたのだ。

そこで見たのは、再生されていっている棚田と、まだまだ残る耕作放棄地や使われなくなった施設。そこで暮らす人たち。移住者の抱く想い。

胸がドキドキしていた。
ここでなら、自分の人生を懸ける意味があるかもしれないと。

出会いは7月末。緑が濃く、生き生きとしていたのを覚えている。

当時、働きながら考えていたことがあった。

自分はそもそも、幸せに暮らせる人を増やしたいと思って仕事を始めた。けれど、そのために役立つと思っていたお金は、どうにも違うように思えてきた。結局は価値交換の道具で会って、本当に価値があるのはその交換対象である食べ物や暮らし、自然そのものなのではないか。
であれば、それらが豊かにある場所は田舎。自分も田舎に暮らして農を営みながら、いろんな人が集まって意見を交わせる場を作れたら。土地は余るほどあるだろうから、キャンプ場なんてちょうどいいかもしれない。

農を営むことと、人が集まる場としてキャンプ場を作ることをしたいと考えていたのだ。
そして上山には、そのどちらもあった。もう何十年も放棄されてしまった棚田と、かつて町営だった廃業寸前のキャンプ場。

自分の努力さえあれば、自分の思い描く暮らしが作れるかもしれない。

仕事と人生の在り方に違和感を抱いていた当時の僕は、そんな希望を胸に抱き、小さな集落に飛び込むことをその日決めた。

▷そして8年が経ったいま。

それからの日々は、本当にあっという間だった。
毎日新しいことの連続で、刺激に溢れていた。
かつての暮らしでは決して出会わないような人とも沢山出会った。

廃墟なんて言われていたキャンプ場も、コツコツDIYを重ねて改修していき、沢山の方が楽しみに訪れていただく場になった。

キャンプ場の新しい使い方として、アウトドアウェディングも開いた。

結婚して夫となり、こどもが生まれ、父となった。
地域の役職も多く経験し、神社の宮総代長という役も任せていただくことになった。なんなら獅子舞の担い手にもなった。

毎週、地域の高校の授業のお手伝いをするようにもなった。
仲間と共に会社を立ち上げ、暮らしの学びや農作業を共有し、いろんな方に自然体験を通じて豊かさを考えてもらうような仕事をするようにもなった。

移住前にしたいと思っていたこともあれば、思いがけずたどり着いたこともある。しかしどれも、自分で納得して選んだもの、つくってきたものばかりだ。そしてそれは、自分一人の力でできるものではなく、多くの人々、そして多くのいのちのおかげで成り立っているのだと実感する日々。

いま、幸せですか?と問われると、正直、少しの間があくくらいには大変なこと、まだまだ頑張らなければならないことも沢山ある。

けれど間違いなく、幸せに向かって、愚直に自分の人生を生きている。
まわりにいてくれている人たちも幸せにできるように、勉強し、行動するように日々生きている。
その暮らしを支えてくれている自然や多くの生命に、少しでも多くのものを返していけるよう、実践と改善を重ねていっている。

そのために、生きている。


「あなたはなぜ生きるのですか?」

もしもいま、そう聞かれたならば、きっとこんなふうに答えるだろう。

「自分も幸せに、そして少しでも多くのまわりのいのちを幸せにできるように生きています」

僕も少し、大人になったようです、先生。


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