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2024年9月の記事一覧
No.23|百日行願23日目(2024年8月25日)
百日行願、二十三日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
私は6歳のときに交通事故にあいました。それは五度目の交通事故です。
はじめは3歳。相手はトラック。それから軽微な事故も含めて三度。
最後の五度目は6歳のときにタクシーにはねられました。
小学校1年生ではありましたがまっったくのうろ覚え。
大半は親から聞いた話です。
それと両親の手記。当時の日記です。
宗教家になるときにく
No.22|百日行願22日目(2024年8月24日)
百日行願、二十二日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
今日は「思い込み」の話をします。
思い込むとは、一般的にマイナスのイメージで使われることが多いでしょうか。
「あの人は思い込みが強いのよね~」
つまり、偏った意見になりがちな人を指して、そのような表現でその人を見たりしています。
もちろん、人に迷惑をかけてしまう思い込みはどうかと思いますが、自分だけで決める思い込み
No.21|百日行願21日目(2024年8月23日)
百日行願、二十一日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
今日はより初歩的なところを。
金光教の教祖様は、
『おかげは和賀心にあり』
と言われました。
おかげはあなたの外側にはありません。
おかげはあなたの内側にあるのですよ、ということ。
どういうことか。
唐突ですが、
良くないことが起こる。交通事故にしましょう。
このときあなたは何を思うだろうか。
(ケース1)車は
No.19|百日行願19日目(2024年8月21日)
百日行願、十九日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
金光教のお取次では「親子」の関係をことさら大切にしています。
人は親から生まれてくる。このごくごくあたり前の出来事をただの一過性の出来事とはせずに、自分ごととして深く人生の命題として受け止めていくというのがお取次の主願でもあります。
それはいったい何のためにやるのかといったら、自分のため。
それ以上でもそれ以下でもありま
No.18|百日行願18日目(2024年8月20日)
百日行願、十八日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
「恥部(ギャンブル→借金)」を披瀝して良かった……、
そう思えるような反応をいくつか頂いております。
そんな私ですが、今では3人の子をお授け頂いたわけで。
どうしようもない私が、親をやらせてもらっているわけで。
今日はその辺の話を。
どうしようもない、どうしようもないと連呼していても、人生は一切うまくいきません。なにも進
No.17|百日行願17日目(2024年8月19日)
百日行願、十七日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
昨日の投稿は何度も何度も読み返し、何度も何度もリライトしています。
もしお時間あるならば、今一度読んでみてください。お忙しいとは思いますが、よろしくお願いいたします。
それほど、自分が「恥部」だと思っていることを、私をよく知らない人(不特定多数)へお伝えするってことは、想像以上に抵抗があるのだなぁと。
文章は残りますし。
No.16|百日行願16日目(2024年8月18日)
百日行願、十六日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
高校3年生、もうすぐ大学生ってときに、はじめてタバコを吸いました。
地元で一番仲の良かった友達が吸っていたのがきっかけで。
マルボロという銘柄でした。ゲホゲホゲホとムセにムセた。
「なんだコレ」が最初の感想。
なんでこんなのにお金払っているのか、意味がわからなかった。
でも、それから結婚するまでの11年間、吸い続けました
No.15|百日行願15日目(2024年8月17日)
百日行願、十五日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
願える対象があるというのは、とってもありがたいこと、なかなかないこと、いきなりは作れないものだと思っています。
今日はそんなお話を。
私は普段から、神様、神様~と言っています。
先生、先生~とも言っています。
信心ない人からすれば、奇妙な光景でしょう。
誰にも頼らない、頼りたくない、
自分の力だけで生きていくんだ~とい
No.14|百日行願14日目(2024年8月16日)
百日行願、十四日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
今日は、排便の御礼について。
命を頂くことも神様のおかげなのですが、それだけにとどまらない。私は、食事をいただき、頂いたものを体内で排便にしてくださる、その働きをまるっと「神様のおかげ」として御礼申し上げるようにしております。
便は便りと書く。神様からのお便り。
生理現象と捉えていると、食物繊維が足りないからとか、考え
No.13|百日行願13日目(2024年8月15日)
百日行願、十三日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
私は生きているのか死んでいるのか、わからない毎日を過ごしてきました。
親を恨み、他人がまったく信じられず、どうにもならない毎日に発狂してきました。
その奥にある気持ちはこうです。
「誰も俺の気持ちはわからない」。
これをめいいっぱい、取次者に聴いてもらってきました。そして今……。
自分でも驚くほどに穏やかな心になれた
No.12|百日行願12日目(2024年8月14日)
百日行願、十二日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
信心させて頂いてよかったなと思うこと。色々とあるのですが、一番に思うのは、
どうしようもない自分
自分のことをそう思えるようになったことです。
そして、それがわりかし肯定的にです。どういうことかという説明を今日の投稿でしてみます。
世の中には、
どうしようもない自分
をこれでもかと卑下して、
「あぁ死にたい、消えたい
No.11|百日行願11日目(2024年8月13日)
百日信行、十一日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
突然ですが、あなたの思う『信心』とはどのようなものでしょうか?
今日は『信心すると何が良いのか、何が良くなるのか』について書いてみようと思います。
さっそく結論から書きますが、
それはズバリ【改まれること】だと思っています。
「改まる」を調べると次のような意味が。
どちらも似通った感じですが、変わったり、入れ替わっ
No.10|百日行願10日目(2024年8月12日)
百日行願、十日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
昨夜お参りされた氏子が次のように言っていました。
願っていたことが叶ったお届けで、
「神様のおかげです、そう感じることが多々ありました」と聴かせて頂き、ありがたいなぁと思いました。
世の中、起こり来ることを「神様のおかげです」そのように思えたら、思い悩むこともなくなるのでしょう。
すべては神様のおかげですと思えるようになる