No.17|百日行願17日目(2024年8月19日)
百日行願、十七日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
昨日の投稿は何度も何度も読み返し、何度も何度もリライトしています。
もしお時間あるならば、今一度読んでみてください。お忙しいとは思いますが、よろしくお願いいたします。
それほど、自分が「恥部」だと思っていることを、私をよく知らない人(不特定多数)へお伝えするってことは、想像以上に抵抗があるのだなぁと。
文章は残りますし。
「恥部(ギャンブル→借金)」を書くときはいつだってドキドキしています。
本来なら書かなくても良いのでしょうが、いつかは書かないといけない、そのような気持ちにもなるのです。
それはなぜか。
私が「できる人」と思われたら、あなたの助かりが遠のくから。
私が「ついているだけの人」と思われたら、あなたが助かると思えなくなるから。
私は、どうしようもなくてくだらない、つい10年前には自分の人生を諦めようとしていたしがない今年46歳を迎えるオッサンです。
ついていたとも思わない。
むしろ、父親が宗教関係の仕事に従事していたからこそ、こんな事態を招いたのだと恨んだことだってあります。
子どもの頃も、友だちから変な目で見られたし、オウムの頃(高校3年生)なんかは、家のことは口が避けても言えないことでした。
補足:「仕事に従事」は、学生時代に父の仕事は……と思うときの私なりの表現です。
今は、金光教の教師の御役に対して仕事しているなんて気はサラッサラありません。
助かりたいと願う人に私の命をできる限り使っているだけ。
使ってもらっているだけ。
それが仕事といえばそうかもしれませんが、経験してきたサラリーマン時代のソレ(時間を差し出しお給料を頂くソレ)とは明らかに違います。
休みもありません。
想像ですが、世の自営業とも違う。
強いて言うのなら『親業』。
親に業があるのかなんて誰も思わないでしょうが。
子どもの親なんてやめられませんし、24時間ですし、でもそんな感じです。それは、仕事ではないはず……。
そして私は、奇しくも、恨んでもいた「父の跡」を継いだわけで。
その後、継いだは良いけれど、何をすれば良いかわからない私の目の前に『師匠=私の取次者』が現れました、現れてくれました。
そして、難儀な自分だと自覚させてくれました。とことん。
くだらない、どうしようもない私は、神様のおかげいただかなくして1分1秒も立ってさえいられない、フラッフラ、そんな私なんだというイメージを、キチンと仕込んで頂きました。
と、ここから私が得てきたような『自分のイメージ』をあなたにもお話したいのですが、話者である私が、はじめから、さも出来ていた(できる人、優れた人)と思われてしまっては、あなたに絶望だけを与えてしまうだけですので。
いかに私がどうしようもない人間なのか、それが伝わらないと話にならないと思ったから、言いたくないことですが書いています。(お読みいただいている人へは、そんな文章を貴重な時間を使って読んで頂き、感謝しかありません)
それから、どうしようも「なかった」なんて過去形にはいたしません。
おかげを頂いた今でも、自分のことはどうしようもないと思っているし、いやむしろ、おかげを頂けば頂くほど、信心させて頂く年数が立てば立つほど、なんて私は至らないのだぁぁぁぁぁぁあと思う、これが正直な気持ちです。というか真実です。
私が45年間生きてきた中で、もちろん、公には書けないことも散々してきました(思い出したくもないこと)。
時効とは言え、そこまで書いたとて、逆に読み手も引いてしまうだけかと思いますので……。あとは想像にお任せいたします。
とにかく、何が言いたいのかといえば、
本気で信心すればどんなあなたでも助かるよ
これだけです。
でも、渦中の私は信じられなかった。
10年かかりました。
途中、心が折れそうになった。
でも、こうして生きています。命に御礼を申しあげることができる状態で。
おかげですよね。
これ以上のおかげはありません。本気で思います。
この状態を手渡したい。あなたに。
あなたに手渡すのが私の使命かと。せめてもの恩返しかと。
でも、おかげを授けるのは神様ですから、私はその補佐的な役割です。
あくまでも補佐。補佐中の補佐です。
なるべく目立たないように。お邪魔にならないように。
一至らない出来損ないの氏子ではありますが、一経験者として、少しでもあなたのお役に立てたらと思う次第です。
今日も貴重な時間(命)を賭してお付き合い頂き、ありがとうございましたー。
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