No.20|百日行願20日目(2024年8月22日)

百日行願、二十日目。

今日も命を頂きました。
ありがとうございます。

すでに二十日目。
行願も百日なので、五分の一が過ぎ去ろうとしています。

この調子だと、すぐに百日を迎えそうです。

毎日の進みがとにかく早い。この二十日間でいったい何ができたのだろうか。
そんな歯がゆい気持ちを抱えつつも、けれども、命を頂けばこそ、と。ありがたい限りです。

神様から命を頂くという考え方。
信心が無い人からするとおよそ出てこない表現でしょう。

生かされているも同意。
生かされていると言うぐらいですから、主体があるわけで。
「何に」生かされているの、ということですね。

その主体を明確にする。

私の場合であれば神様。
注:金光教の神様は天地金乃神様(てんちかねのかみさま)=天地一切を司る神様

その神様に毎日、毎日、心を向けて、いわば、関係性を築いているようなものです。

親子なら親子関係
人間なら人間関係
顧客なら店員さんとの関係
お医者さんなら……

なんでも関係性を築くというのは大切です。
投げやりになれば関係性もうまくは行きません。

一分一秒を大切にするからこそ、良質な関係性も築けるというもの。
では、なぜに良質な関係性を築くのかと言えば、
それは自分のためと言えるでしょう。

親子関係も、親からの愛情を受け取るため。
人間関係もそう、店員さんならサービス、お医者さんなら医療行為。
お金を出せば受けられると思ってたら大間違い。
介しているのはどうしたって不完全な人間ですから。

でも、関係性を築く相手が完全なる神様の「信心」は違うのでは?

そんなことはありません。
人がそう感じるように、神様も同じように感じます。

というより、そもそも神様がそのように感じるから、神の子である人間もそのように感じると考えたほうが理にかなっています。

言うことをきかぬ子は親も仕方があるまいが……

教祖様のお言葉

親も神も、いくらあなたへ愛情を授けようとしていても、あなたが「要らない!そんなの頼んでいない!!」と突っぱねてしまったら、親も仕方がないのです。

もう、祈るほかありません。

そういうこと。

親の愛情を十分に享受するには、神様の恩恵を十分に享受するためには、親子関係を構築するように、神様との関係も丁寧に構築することが必要なのでしょう。

何よりも、あなたのために必要なのです。
そのための信心ですね。

先祖供養でも、天罰を避けるためでもありません。
どこまでも、自分のためなのです。

追伸:まぁ、先祖の祟りも天罰も、難を避けるためにと考えたら自分のためにと言えるかもしれませんが、それではなんとも……後ろ向きな信心かと思います。

祟りも天罰なんてものも、そんなものこの世には一切ありませんのでご安心を。

ご信心を通じて、私が、あなたが生きているこの人生は、すべて自分が生きにくくしているだけなんだと気付けたら、自ずと道は開け、前に進めますよ。きっと。

今日も神様から命を頂きました。
神様、真にありがとうございましたー。ヨシッ!!

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