No.23|百日行願23日目(2024年8月25日)
百日行願、二十三日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
私は6歳のときに交通事故にあいました。それは五度目の交通事故です。
はじめは3歳。相手はトラック。それから軽微な事故も含めて三度。
最後の五度目は6歳のときにタクシーにはねられました。
小学校1年生ではありましたがまっったくのうろ覚え。
大半は親から聞いた話です。
それと両親の手記。当時の日記です。
宗教家になるときにくわしく知りたくて貰いました。
はねたタクシーはすぐさま血だらけの私を後部座席に乗せ、病院へと運んでくれたようです。
そのおかげで後部座席は血まみれだったとか。
タクシーにはねられた私は7メートルも吹っ飛ばされて、左側から地面に落下したらしく、顔の左半分の皮膚は剥がれ落ち、左肩から左腕にかけての骨折、そして意識不明の状態になりました。
昭和60年の9月24日に事故。それから1日半意識不明。9月25日の夜「今夜意識が戻らなかったら危ない、意識が戻ったとしても、後遺症が残るかもしれません……」そのような不安満載の言葉を、両親はお医者さんから聞かされたそうです。
それから39年間、私は生きています。
後遺症もありません。まったく。
左顔の皮膚も完全に戻っています。
ただ、顎には手術痕があり、その手術痕だけが、この交通事故が私の出来事だったのだと思い返させてくれます。
ですが、回復のおかげで、私としては……
そこまで重く受け止められない私でもありました。
そんな私に両親は(特に父)、ことあるごとに、「お前は祈られて、生かされてきたんだ」と言いました。言われ続けました。
それは、交通事故に一度もあっていない兄と妹とも比べられて。
でも、当の私は元気ですから。言われるたびに反発していました。
何か、感謝を強要されているような感じが嫌で。
それでも(言われ続けたからかもしれませんが……)、父の跡を継ぎたいと自ら志願し、奇しくも両親と同じ道を歩み、宗教家になりました。
宗教家になったあとは自覚的に信心の道を進み始める私。
そんな私は、この自分の交通事故の体験を「おかげ話」として伝えたいと思うようになります。
そうして何度かお話の場で試みたのですが……、
私が受けた実体験ではあるものの、なかなか思うように話ができませんでした。
なぜなのか。すぐに答えは出ました。
それは、6歳の私が自覚して信心していたとは言えないからです。
もちろん両親から、「命を頂いて、御礼しようね」などと促されていたこと、それは無いとは言い切れませんが、自ら進んで、神様へ向かってご祈念する、取次者へ向かってお取次を頂く、なーんてことはなかったので。
あくまで、
・両親の信心
・当時、私の周りにいた縁ある人たちの信心
だったのだと、早々に結論づきました。
ただ、なぜ今この話をツラツラと書いているのかと言えば……、
【命の観点】から言えば、私の実体験として話せると思ったからです。
昭和60年、6歳のとき、あのとき死んでいたら……。
今はありません。今の私は存在しえません。
それから39年間、45際になった今も、
今日も、命を頂いて、
様々に命を使ってもらっています。
6歳のときの命が繋がるおかげがなかったら、
私は今、呼吸すらしていないのだと。
そう強く思えるようになりました。
という話を、今日の月例祭(げつれいさい:神様に御礼を申しあげるお祭り)と月例霊祭(げつれいれいさい:8月を祥月命日とする方々の先祖まつり)にお参りされた氏子へ聞いてもらいました。
今日も命を頂いています。
ほんっっっっとに、ありがたいですね。あらためて神様に、御礼申し上げます。ありがとうございましたーーー。
追伸:私は交通事故というケースでした。これをお読みのみなさんも、それぞれに生かされてきたケースはあると思います。絶対にあります。どんな小さなことでも構いませんから。
そうしたいろいろな出来事をこれまで以上に深く味わって、御礼に変えられたら。それだけ、今の御礼がブ厚くなるわけですからね。
結果、おかげになるというものです。どうぞお試しあれ!
今日も、お読み頂き、ありがとうございましたー♪
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