宗教家のすがいんです。 今の今、 ・なぜ、こんなにも寂しいのか ・なぜ、誰も分かってくれないのか と「1人ぼっちで寂しさを抱えている人へ」、なにかのお役に立てたらと願いながら、私の経験を元に書いていきます。 まず、1人ぼっちとは、 親でも兄弟でも友人でも周りにどれだけたくさんの人がいても孤独だ と感じてしまうことです。なので、「家族みんなで幸せそうね」と周りが言ったとしても、本人が1人ぼっちと思ってたら1人ぼっちなのです。 そのことをよくよく理解していないと、1
おはようございます。 百日行願、百日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 今朝ほど師匠へとお届けさせて頂いた文面をこちらにも記しておきます。 ◯ ◯ いよいよです。 ここまで真にありがとうございました。 追伸:とりあえず、毎日投稿は今日を区切りとさせていただきます。あらためて、ここまでお付き合い頂いた方々に深くお礼申し上げます。ありがとうございました。 ご都合付く人は、よかったら教会まで足をお運びくださいませ!!
こんにちは。 百日行願、九十九日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 いよいよ明日です。 教祖様の御大祭に併せて、 開教五十年記念大祭を仕えさせて頂きます。 これまでの10年間をこの『百日行願』で遺しておきたいと、そういった願いも込めてFacebookに、またnoteに『いのちのおれい』としてまとめました。 懐かしい感覚です。 10年前、何も無い、徳も力も自信もないないづくしの私が始めた「三年の行」。石の上にも三年ということで、まずは教会に自分を馴
こんにちは。 百日行願、九十八日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 ↑今読み進めている1冊の本です。 私は何者で、なぜここにいるのか。 これは何も、相手に伝えるために必要な要素ではないということを学びました。どういうことか。 それは自分にも、ということ。 昨日の投稿に書いたように、私はこの教会で生まれ奇しくも「真」の取次体験を得たことと、教会の二代目になったことで、自分が得た取次体験を縁ある人々へ実践するためにココにいる、というストーリー。
こんにちは。 百日行願、九十七日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 私は教会の二男として生まれました。 3歳から6歳まで5回も交通事故に遭っています。 命を繋いでいただき大学を卒業後、不動産会社に入社。 入社前に「ゆくゆくは教会の二代目を」と、両親兄妹と話し合いました。(兄が「僕には出来ない」と言ったから。私は「お父さんお母さんが喜ぶなら」そんな気持ち、深く考えていなかった用に思います……) 30歳までは社会人をと両親と話し合いましたが、28歳で社内
おはようございます。 百日行願、九十六日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 昨日の投稿の続き。 お参りされた氏子(亡くなられた人の妹)に話をしながら強く思ったこと。それは、 ということ。 実の兄の失態をはじめて聞いて、予想はできていたものの面食らった様子で「あらためて、その節は失礼しました」と妹さんからお詫びされました。これで、話すタイミングができました。そうじゃないよと……。 どういうことか。 吐き出す場所こそお広前(私が座っている場所)な
おはようございます。 百日行願、九十五日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 今日はある氏子の1年祭。 亡くなってから今日で丸1年のお祭り。 亡くなられた人の妹さんが信心を続けられ、教会へお参りされます。 その亡くなられた人、このFacebookでも何度か書かせていただきましたが、身体に重い症状を抱えられている人でした。 全身アトピー、心臓病、糖尿病etc...... その一家も、 「〇〇が家のめぐりを一人で受けている、かわいそう……」 そう言って
こんにちは。 百日行願、九十四日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 「自分を責めずに改善しよう」という記事が目に飛び込んできました。 【犬飼ターボさんの11月3日の投稿】 読んでみての私の理解を記します。 ではなくて…… この投稿に、救われました。あらためて【犬飼ターボさんの11月3日の投稿】読んでみてください。 私は明らかに★の部分が足りていませんでした。 そして、過度に責めていたのだと思います。 二度と同じ過ちを繰り返すまいと。 だか
おはようございます。 百日行願、九十三日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 代を代わり、10年が経ちました。 教会の代替わり。 お参りされている人にとってみれば、とても気になり、 そして、それはもう心配されたことと思います。 金光教の多くは血縁で継承されます。 本部も6代目。教祖から数えて6代に渡る。 ここ武蔵小杉教会も初代が私の父。そして二代目の私。 外部から継承者を立てるよりも安心材料は増えるのかもしれません。 ただ、私は流れを汲むことができ
こんにちは。 百日行願、九十二日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 今日は『おかげ』について。 と教祖様。 おかげとは一体? まずは、壱の型『命』。 そして、 命を喜べる、弐の型『心』。 この二段構えで良いのではないかと思っています。 (わかりやすく鬼滅の刃の技のように現してみました^^) 金光教には『大難を小難に……』という教えがあります。 これは二段構えのうちの、喜べる心の部分。 信心なければ「さいあく~」となっていたことも、「信心あれば
こんにちは。 百日行願、九十一日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 『定期的なお参りの奨め』 これは、私がいつも言っている からくる考えです。 筋トレ、続いていますか。そもそもやっていますか? 歩くにも、走るにも、起き上がるにも、筋肉、必要ですよね。 私も御用(1日中畳に座っている)の関係で続けています。 足腰を鍛えておかないと、御用が続きません。 話を信心に戻して、 信心も続かないと意味がない。そう思っています。 そこで、定期的なお参りの奨
こんにちは。 百日行願、九十日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 電話相談。聴けば聴くほどに壮絶な人生。 今日も「命の御礼」を軸に聴かせて頂きました。 まずは反省。 『命の御礼』を打ち出すタイミングが悪かった。 生きたいとは思っていない人へ、 本当は生きていたいけれど「死にたいと思ってしまうほど生きるのが辛い」と感じている人へ、 (電話相談の相手はほとんどがこの状態) 『命の御礼』を打ち出すタイミングはものすごく難しいことだと、あらためて感じました
こんにちは。 百日行願、八十九日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 久しぶりに電話相談がありました。 ※044-722-0469(相談料無料・電話代のみ) ↑お困りの人がいらっしゃったら教えてあげてください 「これからの人生についても不安で……どうしたら良いでしょう??」 どうしたら良いでしょうかと問われたので、 『命の御礼』をオススメしました。 あくまでもオススメ。 お稽古はお教会でできますよと。 繰り返しますが、あくまでオススメ。 命の御
こんにちは。 百日行願、八十八日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 『全信奉者に告ぐ』そのようなタイトルを付けたくなりました。今朝の私の気持ちです。 と申しますのも、金光教で(信心する上で)何が大切かを考えてみました。何だと思いますか? それは「取次」です。と私は思っています。 というかそれしかない。それ以外ない。それ以外は取次でおかげを受けた後に、必要なもの(大切にしたら良いもの)、そう思っているんです。 そしてこれは、金光教と申しましたが、
こんにちは。 百日行願、八十七日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 私は我の強い人間です。 負けず嫌いでプライドの高い人間だと自覚しております。 誰かに指摘されるのを嫌がるし、 言われたら反論したくなる、 とーっても器の小さな人間だとも思っております。 そんな私が宗教者の両親の元に生まれ、一応は自分で選んだ道ではありますが両親と同じ道を歩み、ここ武蔵小杉教会の二代目として今御役に当たっています。プライドの高い私が。 プライドの高い私ですからこれまで
おはようございます。 百日行願、八十六日目。 今日も命を頂きました。 ありがとうございます。 昨夜、今日行われる習い事の試験を控えた二女が次のように言いました。 最近、娘たちとこのような会話しかしていませんが^^ 度々申しますが、私も分かっていない派ですよ。 明日のことが気になって不安にもなりますし、心配だってします。(ただ、夜眠れないというのはありませーん) どうですかね。 明日の心配って、 『明日生きている前提で』 その上に立って心配していますよね。 この『