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いつも気持ちのままに−こころの治癒⑳完
(心のカタチより)
長らく”こころの治癒”のお話をしてきました。私、ぽち☆の出来ることは、皆さんが持つ心に興味を持ち、できれば知っていただきたく想っておりました。そのこころを自分の”もの”にして、それが自分のために使うことになるからです。そのお話も今回で一つの完結を迎えます。ただし、これは皆さんにとっては終わりではなく、はじまりの一歩に過ぎないのです。この”こころの治癒”の話や”心のカタチ”での
鼓動のチカラ-こころの治癒⑲
(心のカタチより)
自分たちは、心を使うか使われるかの二択で人生を歩んでます。それは気持ちのままに活きるのか、感情に囚われるのかの違いです。それは幸せを”感じようとするのか感じようとしないのか”の違いとなり、そのどちらを選ぶかは自分次第となるのです。
前回「鼓動という治癒」の話をしました。それは鼓動が心に繋がりどんなに感情が高ぶっていても、脈が心の状態を知らせてます。その鼓動を感じるか感じない
鼓動という治癒-こころの治癒⑱
(心のカタチより)
人は案外と考えるということに慣れ親しんでしまっているのかも知れない。それは考えることを"良し"として、正しいとも思い込んでしまっているとも思える。それが本音(きもち)と同じなら良いが、そうでなければ心悩ませ、時には病(やま)させもする。
前回「どうしたいのか?」の話をしました、その返答には"欲"と"当たり前"があり、自身の”欲”が様々な言動を湧き起こしている。何故、そう言動
どうしたいのか-こころの治癒⑰
(心のカタチより)
人は物事が起きると感情に囚われやすい。それが気持ちのままの感情なら特に気にすることないが、感情からの感情が湧いたなら自分が”どうしたいのか”を見失ってしまう。人が思う”どうしたいのか”には「欲」か「当たり前」の2つがあり、そのどちらかで”幸せかどうか”に別れる。
前回「人はひと」の話をしました。その話では感情的な”人”であっても、気持ちのまま的な”ひと”であっても、どちらの
人はひと−こころの治癒⑯
(心のカタチより)
人には持病を持っていたり、障害を持っていたり、心に病を持つ人がいる。自分たちはその人たちとどのように接しているか。もちろん、手助けが必要なら誰かが手を貸すのは当たり前なことして、どのような心で接しているのかです。それには、忘れてはイケない事があり”人はひと”と云うことです。もし、同情をするならば”人をひと”にならずです。
前回「こころに不要な”もの”」の話をしました。その話
こころに不要な”もの”−こころの治癒⑮
(心のカタチより)
人は人生を歩めば歩む程、自身の心で解決できない感情を心にぶら下げる。それは若く体力のある内は何てこともないが、精神や体りょくの衰えと伴にそのぶら下げ残した事に後悔しだす。それは心の負担となり、切り離す術を持たずそうするしかなかった。
前回「心の病という病」という話をしました。その話では、心を知らず、そして心の病が何者かも知らず、外的刺激や自発的刺激から”暗示”を自身のこころ
心の病という病−こころの治癒⑭
(心のカタチより)
自分たちは、心の病の存在をどうやって知ったのでしょうか。心のカタチでは”心の病”と称してますが、それは読まれる方に判りやすい表現として利用しております。まずは心の病が何者かを知ることが必要なのかも知れませんね。
前回「こころの差」のお話をしました。その話では、”治癒は”こころの差から心のカタチやそのあるところを知ることができ、それが唯一こころに効くクスリを処方する術となり、
こころの差−こころの治癒⑬
(心のカタチより)
人は好きなことをしているとき、緊張や心配、そして心の病など無かったかのようにいられる時がある。それは、自身の心が感情に囚われていたとしても、本音という抜け道がこころには用意されていることを教えてくれる。その抜け道こそ、こころを治癒する出口なのかも知れない。
前回「心甘える」という話をしました。その話では、誰かが誰かに甘えるのではなく、互いのこころが水のように均等に馴染み合う
心甘える - こころの治癒⑫
(心のカタチより)
人は、外国の方、日本の方、男性、女性、大人、子供、障害者であっても人間には変わりない。もちろん、心に病をもった方でも。それは人間には"こころ"があり唯一平等な価値を持っている。
前回「死にたいと思うとき」の話をしました。その話では、”生きたい”は気落ちからの本音。”死にたい”は感情からの偽り。と話しました。それは誰もが”幸せになりたい"という理由があり、その幸せを感じれない
死にたいと思うとき - こころの治癒⑪
(心のカタチより)
人は”死にたい”と思うことがある。
何故、人はそう思うことがあるのだろう。本当にこころからそう思うのなら今のこの世の中、人口は減るばかりになる。今、他国では戦争が起きている。その人たちも死にたくて戦争をしているのか。いや。生きたく思っているはずだ。
前回「自分とこころ」のお話をしました。その話では、自分(カラダ)と自身(こころ)は”二重の人格”として、その両方が同じ目的を支
自分とこころ - こころの治癒⑩
(心のカタチより)
自分たちは、この世に産まれてからずっと共に活きる”こころ”というパートナーがいる。そのパートナーは、自分自身を護るためにずっと寄り添ってますが、そのこころとの付き合い方で、時に感情という悪戯っ子を湧かし混乱させるもします。ただ、”こころ”は永遠の味方。悪いことも知って、気づき難いこころを知るため荒療治が必要です。それが”こころ”の嘘偽りのないカタチを保ちます。
前回「チカラ
チカラは力を使わない - こころの治癒⑨
(心のカタチより)
人は人を無視することが出来ません。それは、独りでは活きれないからでもありますが、自身の”幸せ”を感じ得るには人の”心という鏡”が必要になるからです。
前回「自分を導く」という話しをしました。その話しでは、自身の心の本音という棚にある”幸せになりたい”を優先する話しでした。それは、誰かを幸せにする前に、まず自身の”幸せ”を優先し、その幸せがしだいに周り人との”こころの距離”を
自分を導く - こころの治癒⑧
(心のカタチより)
卵が先か。鶏が先か。
物事には何を先にするかを悩むことがある。その悩む事態が感情を湧かし自身の心を次第に犯しだしもする。
前回「どうなりたいのか」というお話をしました。そのお話で”こころの整理整頓”をする本音という棚に”幸せになりたい”だけと云いました。
それを極端な整理整頓と想われるかも知れませんが、人は原点に立つことで周りがよく見えてくる”もの”です。言い換えれば原点
どうなりたいのか - こころの治癒⑦
(心のカタチより)
あなたは。。。
どうなりたいのですか。
その答えはいつもあなたの心の中にある。
前回、「こころの自分ルール」のお話をしました。この話しでは”恥ずかしい”を例に自身が知らず知らず自分ルールを心に植えつけ『躊躇』する話しでした。それが自分の気持ちさえも抑え、心を疲れさせる理由となっていたことを。
ただ。その自分ルールは幼い頃に植えついた芽でもあり、人生により幾分か育てられて