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高堂つぶやき集。
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「お稲荷さん」という言葉には、私の頭のなかにもふたつの意味がある。ひとつは、「食べる」お稲荷さんで、もうひとつは「キツネの神さま」のお稲荷さんだ。「お稲荷さんを食べる」といった場合、一瞬、神社に祀られているあのお稲荷様も一緒にいただいているのだという氣になる。お稲荷さんは偉大だ。

壁打ちが好きになったのは、四十代に入ってからだと思う。以前は先が読める展開が厭で、壁は避けて通った。どうも予測不能な球が飛んできて、それに対応するのがよかったらしい。後の先といったあたりか。ただ壁打ちにもそれがあるのだと識ったのが、私の場合は遅くて、最近であったという話であろう。

執筆は何処で書くかで左右される。海外では一文をひねり出すのに、工場を購入した作家もいるくらいだ。過日は、家内をつれて海辺で書くことにした。遠くには巨大な雲が何かになろうとしているようであった。一万字ほど書いて、顔をあげると、先ほどの雲は跡形もなく消え、静かな夕暮れが拡がっていた。

蚊について、皆様に問いたい。今年奴らは進化を遂げてはいないだろうか?例年は蚊を倒しつつ、蚊に刺されつつの日々を送っているのだか、今年は惨敗だ。別段、ブンブンと五月蝿くもない。思うに奴らはステルス技能を習得したのではないか。お陰で私の身体には虫刺されの天の川が今も煌々と輝いている。

お神籤は平安時代、百首の漢詩から吉兆を視たのが始まりとされる。元々、神籤のミは御であり、御籤であったのだろう。そこからより丁寧に御々籤としたのでは、さすがに妙なので、ミを神にしたのではなあるまいか。兎にも角にも、神籤と申せば彼方が占え、お神籤と申せば此方が觀えるだけのことである。

過日、義兄が我が家に遊びに来た際、この鳥の囀りは本物かと訊ねられた。たしかに我が家の周りには木々が並んでおり、BGMかと勘違いしそうなくらい鳥が騒がしいときもある。最近は暑さのためか、鳥もひょこひょこと歩くことが多くなっているが、過日、その鳥を目で追うと、白いきのこが生えていた。

日本は明治維新にて壊滅的に毀れはじめたが、おそらくそれより前に絶望的であったのが、漢字を中國から輸入したときではないか。無論、その編集は圧巻であったものの、これにより言靈は枯れ、大和言葉が死んだ。例えば、姫は「秘目」であり、天地を返す力があったが、今やプリンセスで終わってしまう。

海のそとに、ひとの暮らしがあるように、星のそとにも、どなたかの暮らしがある。微かではあるが、海外からの音がよせてはかえす波とともに聴こえるであろうか。同様に、地球外からの音の欠片もまた、よせてはかえす星のきらめきとともに、ひとの耳に囁きかける。凡ては等しく今、眼のまえにあるのだ。

昔は神に馬を奉納していた営みが、馬の形をした木々に祈りを記すようになり、やがて二次元の絵馬へと移ろった。今では、馬の名残りがないことも多く、過日の神社では、猫の置物が描かれた絵馬に数多の祈りが込められてあった。これはもはや絵猫なのではないか。発音がしにくいなら、絵ニャンコである。

今朝、ベランダにやってきた雀と目があった。自分と同じくらいの植物を咥えている。雀はそれを置くと、飛び去った。私は雀からの贈り物かと思い、それを大切に書斎にしまった。ところが、しばらくして雀は還ってきた。「さっきのがない!」と鳴いている。どうやら、私は泥棒をしてしまったようである。

踵に刺激があるなと思ったら、いつの間にか餌がついていたのか、永遠と鶏に靴を突かれていた。あるいは、汚れをとってくれていたのか。否、やはり餌の方であろう。今年度最初の投稿は、このやうなところから始めていきたい。また晴耕雨読三昧になりそうな一年である。改めまして、いつもありがとう。

幾年かまえ、自分が何をしていたかわかるのはSNSが発展してからだ。私の場合、八年まえの朝はプノンペンの渋滞に巻き込まれていた。和装姿にパナマ帽が出勤スタイルで、よき香りの花を路上の子どもたちから買っていた。想像を絶するやうな出来事とかけがえなき想い出で埋め尽くされた月日であった。

過日は熱海に仁清を愛でにいった。裏手に光琳の屏風があったお蔭で、人はそちらに流れ、休日ではあったものの、随分と壺を堪能できた。昨年末、某大企業の社内研修で茶道をお傳えしていた際、茶碗と水指を仁清の写しにしたこともあって、最近は焼物に傾いている。やはり昔の方々の仕事はたしかで佳い。