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高堂つぶやき集。
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昭和の人間なので、スカイツリーより東京タワー贔屓だ。三十年まえの高校時代、陸上部であった私は「坂ダッシュ」と称してタワー下にある坂をよく走った。できたばかりのレインボーブリッジも、風に飛ばされそうになりながら走ったこともあった。写真は昨夕のHINARI CAFEからの一葉である。

過日、成田エクスプレスから一眼レフで写真を撮った。カメラは家人が昔もとめたもので、ファインダー越しにウインウィンとピントをあわせる可愛いやつである。幾度も荒川を通ってきたけれど、撮影したのは初めてのことであった。朝日、陸橋、手ブレ、河川敷。私が大切にしていきたいものばかりである。

昨年末に「ほぼ日5年手帳」なるものを子どもの誕生祝いにいただいて、正月から意外と毎晩日記をつけている。気楽に漫画も書き、その日の何気ない風景や時間をふり返る習慣がついた。5年経ったら、手帳は平凡な日々で埋め尽くさているのだろう。僕たちは何気ない景色と時間に生かされているのだから。

多様性をカラフルな椅子に例えたとする。赤椅子も白椅子も皆、素敵だという考えであろう。しかし、真の多様性は椅子に座らず、床に坐すものたちも含めるということではないか。そのためにも、まだ名もなき場に集注する必要があり、その道標として読書がある。本と本のあいだにこそ、多様性があるのだ。

働くも遊ぶも旅の姿かな。籠を片手に旅をするならば、中に何を入れて帰ろうかしらと微笑し、歩むのかもしれない。私の半生はあえて籠に何も入れずに過ごしてきた。だって空っぽの籠が魅力的に映るときもあるでしょう。しかし、気が付けばそこにひとから託された花々があった。私も散るまで預かろうか。

昨夕、本の雪崩が起きた。裸で入浴本を漁っていたことが原因かとおもわれる。結局、風呂では雪崩のなかから救助した『占い人生論』を読んだ。高島嘉右衛門の生涯を書いたもので、これが抜群によい。易聖以外、当たるも八卦当たらぬも八卦ならば、自分の人生くらい、ご自身で占われてはいかがだろうか。

この一葉は家人がだいぶまえに撮ったもので、かなりひき伸ばして書斎西側の窓辺に飾ってある。東の窓のうえには、野尻泰煌の隷書「橋姫」が額装して置いてある。東西で墨と花がお見合いしていると云えるかもしれない。そのあいだで私は執筆しているわけだが、時折、野暮に感じるのは氣のせいだろうか。

静岡県の農福連携技術支援者育成研修で、磐田のTEN Green Factory株式会社にお世話になって久しい。第一期にGrand Farm株式会社の杉山明美代表が受講してくださったご縁で、このような貴重な機会をまいとしいただけている。ハウスに伺う度に思う。水耕栽培って綺麗だなと。

まことに財力がある者は、金持ちの雰囲氣を少しもだすことがない。真に靈力がある者は、人前でそれを醸しだすことは一切しない。能ある鷹は爪を隱すというが、本当に能があるのであれば、爪ではなく、鷹であるという存在そのものを隱す。日々の暮らしの樂しみは、そのようなひとを見つけることである。

陽のあたり方でふだんの道が輝いて見えるように、ひとの光のあて方ひとつで世界はたちまち輝きをはなつ。暗闇を凡て明るくし、可視化しようとするのではなく、闇を尊びつつ、微かな光でわずかに照らすくらいがよい。すると、同じ闇でも異なる香りが醸しだされ、昨朝とはちがった陽がまた昇るのである。

その方が創造的か否かは左手の小指に顕れる。小指を長く使えたならば、それは折り目正しき動きが身についているということであり、古典立脚した即興にも耐えうる稽古を積んできたという証でもある。むろん物理的な長さではなく、身としての長さだが、おみくじよりは正確なので、まず小指を見られたい。

裡こそ他者。多くの読書家を唸らしてきたこの言葉の隣には、外こそ己という事実が眠っている。つまり、あの夕暮れ空は私であり、次の瞬間、あの枯れ木が私にもなる。空も木も我が身なのだ。ただ同時に空と木にはなれないというだけのこと。だから、ひとはふと冬の澄んだ星空へと還っていくのであろう。

我が家には初詣の習慣はなく、三渓園の散歩程度で新年を過ごした。三渓園に特段思い入れなく横濱に生まれ育ったものの、海外から還ってくると、この類の品致がわかりはじめてきた。年齢的な要素も多分にあろう。しかし若い藝術家を幾人も育てた原三渓を眺めていると、日本人として安堵するものがある。

今年は「生」という字が、よく身に沁みた。換気扇のしたで生後間もない我が子を抱き、故人の本をよく読んだ秋でもあった。故人が作家の場合もあれば、昨年亡くられた知人の蔵書のときもあった。しかし、なぜ赤ん坊は換気扇の音で泣きやむのであろうか。携帯換気扇を両肩に搭載したい今日この頃である。