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『寶』中林梧竹 没後百年記念展

 まいとし秋は農福連携技術支援者育成研修なるもので全国を飛び回っているのだけれども、今は佐賀にいる。宿は「あけぼの」という老舗旅館で、置かれている絵や写真、本に衒いがなく、こちらをホッとさせるものがある。佐賀は初めてであったが、街の看板に筆で書かれたものが多く、こちらも古典立脚したさりげない字が目をひいた。すっかり堕してしまった日本文化が、佐賀には微かに残っているのかしらと嬉しい氣持ちで眺めていた。

 昨夕、宿の本棚でくつろいでいると、悟竹の書があった。没後百年記念展ということで、たしかな先生がまとめられていた一冊である。本の真ん中あたりにある「いろはにほへと」の書なんて、そのまま子どもたちの教科書に載せるだけで、我が国の近代的な歩みもかなり違ったであろうにと感じてしまった。すぐに悟竹の書がここにある理由がわかった。悟竹の故郷は佐賀県であったのだ。私がいかに鈍いかがわかる。

 自分の書が理解されるのは、百年さきのことだ。

 こう話していた悟竹であったが、その百年後には字は靈力を失い、活字の台頭で枯れ果てている。活字の特徴は完成された文字が一氣に現れるといったところにあろう。当たり前の話だが、字を書く過程の身体性が完全に欠落しているのだ。こうして、字はますます大量生産され、残骸となっていった。人と同様のことである。これを近代人が生命力を失った由縁と視ても、決して過言ではあるまい。

 では、どうすればよいのかと申せば、それは至極かんたんなことだ。

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