【分野別音楽史】#番外編①-2 楽器史 (後編)
『分野別音楽史』のシリーズです。
今回は楽器史の後編になります。19世紀後半以降、主にポピュラー音楽に関わる内容となります。古代からクラシック期までを紹介した前編も併せてご覧ください。
◉現在のポピュラー奏法に繋がる発想の萌芽
19世紀は吹奏楽・ブラスバンドが発達した時代でしたが、そんな中で1860年代、小太鼓と大太鼓を一人で同時に演奏する人が登場します。「ダブルドラミング」と呼ばれました。これはまだ小太鼓・大太鼓ともに手(スティック)で演奏されるスタイルでしたが、現在のドラムセットに繋がる発想だと言えるでしょう。
その後、1890年代、ニューオーリンズのスネア奏者、ディー・ディー・チャンドラーが足でバスドラムを演奏しながら、手でスネアなど他の楽器を演奏し、史上初の「ドラマー」だと言われています。
また、19世紀末にはジャズやブルースなどでコントラバスが使用され始め、「ダブルベース」「アップライトベース」などと呼ばれるようになります。現在では「ウッドベース」と呼ばれています。
◉電子楽器の開発の開始
19世紀末、エジソンらによる多くの発明が人々の生活を一変させましたが、電子的に音を生成する試みもなされ、1897年に誕生した「テルハーモニウム(別名ダイナモフォン)」という楽器が実用化された史上初の電子楽器となりました。これはキーボードのような楽器で、この段階ではアンプとスピーカーがまだ発明されていなかったため、生成された電子音は、特別な電話受話器を使って音を聴いたといいます。
その後、1918年ごろにソ連の発明家、レオ・テルミンによって発明された「テルミン」が、一般に広く知られた最初の電子楽器となりました。静電気の通っているアンテナの間に手をかざすことで音程を変えて演奏します。
●テルミン博士自身による演奏●
さらに1920年代、オシレーター(発振器)が発明され、それを利用して、トラウトニウムやオンドマトルノといった楽器が登場しました。これらが現在ではシンセサイザーの祖先とされていますが、当時あまり実用的なものではなかったようです。
この時期以降しばらく、電気的な技術としてはレコード産業やラジオ放送など、メディアの開発・発展のほうが盛んとなり、「電子楽器」については戦争による停滞や世代交代が挟まることとなります。
◉1920年代後半~第二次大戦まで
1920年代後半、ジャズドラマーのベイビー・ドッズがハイハットシンバルを考案します。はじめは足元にあったものがだんだんと手で叩く位置に上がり、さらにタムやシンバルなど、セッティングされる打楽器の種類が増え、現在のドラムセットに近い形が完成しました。これによって、ジャズやポピュラー音楽はリズム面の基盤が強化されていったといえるでしょう。
1930年代になるとスウィング・ジャズが発展し、ウッドベース、ドラムセット、管楽器のアンサンブルが響き渡る中で、音量的に遅れをとっていたギターの音を増幅させることが望まれるようになります。
1931年、リッケン・バッカー社の「フライング・パン」が世界初のエレキギターかと言われています(諸説あり)。しかし、このフライング・パンは普及しませんでした。
その後、ギタリストのチャーリー・クリスチャンがギターソロのためにアコースティックギターにピックアップを付けて演奏するなど、大音量化に向けて様々な開発が進みます(こちらがエレキギターの始まりだとも言われています)。
1930年代はハモンド・オルガンも登場しました。パイプオルガンが設置できない貧しい黒人教会に用いられて、ゴスペルと深い関係を持つようになります。1939年にはオルガンの機能として、バネを利用して音を響かせるスプリング・リバーブが考案され、エフェクターの発想の源流となります。
1940年代に入ると、兵士たちを慰安する目的の簡易的なピアノとして、ハロルド・ローズによってローズ・ピアノが発明されました。
オルガンの分野ではドン・レスリーによってレスリースピーカーが開発され、現在でもオルガンといえば想起されるような、オルガン特有のうねりのある音色が誕生しました。ハモンド社以外の他社も、電子オルガンの開発を始めました。
◉戦後~1950年代
戦後はクラシック音楽の分野において、テープレコーダーを使って音を切り貼りする「ミュージック・コンクレート」が登場しました。「現代音楽」の名のもとに、テルミンの時期以来に停滞していた電子楽器への関心が息を吹き返したのでした。
1947年には、史上初の「リバーブエフェクター」が登場しました。現在でも高名な録音機材メーカーであるUniversal Audioの創始者で、「現代レコーディングの父」とも呼ばれる伝説的なエンジニア、ビル・パットナム・シニアが、スタジオのバスルームにスピーカーとマイクを設置し、集音した音をテイクに混ぜたのが、人工的な残響の開発の始まりだと言われています。その音源が、The Harmonicats『PEG O' MY HEART』だとされます。
1940年代、エレキギターの原型といえる様々な種類のものが各社から発表されていました。しかしこの段階ではアコースティックギターに音を拾うピックアップをつけるだけというスタイル(いわゆるフルアコ)で、中の空洞がハウリングを起こしてしまうため、そこまで大きな音は出せませんでした。そこで、空洞のないソリッドギターが開発されることになります。
1948年にフェンダー社が「ブロードキャスター」というテレキャスターの原型が誕生します。
1950年代に入ると、現在でも使用されているタイプのエレキギターが続々と発表されます。1952年フェンダー「テレキャスター」やギブソン「レスポール」、そして1954年フェンダー「ストラトキャスター」、1958年のギブソン「フライングV」などです。
低音楽器もそれまではウッドベース(コントラバス)が役割を担っていたのですが、1951年に「フェンダー・プレシジョン・ベース」が発売され、エレキベースの誕生となりました。
こうしてエレキギター・エレキベースの発展により大音量化が進んでいき、1930年代までの大編成のアンサンブルに匹敵する迫力を小人数のバンドでも実現できるようになったのでした。
ギターの大音量化に伴い、ピアノが強打されるようになったほか、黒人教会でハモンドオルガンを身近に育った若手ミュージシャンらが、リズム・アンド・ブルースにハモンドオルガン用いるようになりました。ジャズではジミー・スミスがB-3という有名なハモンドオルガンの機種を普及させました。
同時期、エレクトリック・ピアノが登場し普及し始めます。1954年に、オルガンメーカーだったウーリッツァーが最初のウーリッツァーエレピを製造しました。これは、レイ・チャールズやジョー・ザビヌルに使用されてその音色が有名になりました。
1959年には戦時中に開発されていたローズピアノが、ローズとフェンダー社の合同事業により「フェンダー・ローズ」として生産・販売を開始し、1960年代以降、非常にたくさんのミュージシャンに使用され、ローズの音色はエレピという楽器を代表する音色となったのでした。
◉1960年代
1962年、メロトロンという楽器が発売されました。これは、鍵盤を押している間だけ、その鍵盤に割り当てられたテープが再生されるというもので、現在のサンプラーの元祖とも言われています。フルートが録音された音色が有名で、ビートルズやキングクリムゾンらが使用したことで認知度を高めました。
1960年代半ば、バロック期のヨーロッパで用いられていたクラビコードという小型のチェンバロのような楽器に、ピックアップを付けて音を電気増幅したクラビネットという楽器が開発されました。1970年代にスティーヴィー・ワンダーによって多用されて有名になりました。
さらにこの時期にはシンセサイザーも登場。1964年にロバート・モーグ博士がモーグ・シンセサイザーを開発しました。電気信号を発信するオシレーター、周波数を狭めるフィルター、定期的な変調を加えるLFOなどの「モジュール(部品)」を、パッチケーブルでつなぎ合わせて音を合成(シンセサイズ)していくのでモジュラー・シンセとも言います。モジュールの一つとして、信号を自動で制御する「アナログ・シーケンサー」も登場しました。モーグ・シンセサイザーは広く音楽業界にも浸透することとなり、ようやくクラシック系現代音楽以外のポピュラー音楽のジャンルでも電子音が用いられるようになります。
楽器の誕生だけではなく、エフェクターの発展もこの時期に大きく進みました。1963年、マーシャルのJTM-45という、よく歪むアンプが登場します。ロックバンドが大音量を求めていく中で、アンプの設定を過剰にすると音が歪むことが発見され、1960年代後半、ギタリスト達はアンプのつまみをフルにして激しく歪ませ、今で言う「ロック」な音になっていったのでした。1966年には、Fuzz Faceというエフェクター製品も発売され、歪み系エフェクターがここから発展していきました。
◉1970年代~80年代
◆デジタルシーケンサーとリズムマシン
1970年代は社会一般的事項としてはコンピューターの分野の研究が進み、半導体技術の進歩が始まりました。これに伴い、それまでのアナログ的な電気楽器ではない、デジタル制御の電子機器の開発も進められ、80年代以降のサウンドの変化の布石となっていきます。
60年代に誕生したモーグシンセサイザーは、70年代に入ると一般に認知されるようになり、つづいてヤマハやオーバーハイムといったメーカーからシンセが発売されていました。
初期ではモノフォニック(一度に単音しか発音しない)だったものがポリフォニック(複数の音が発音する)へと発展。さらに、音色を保存できるメモリー機能が付加されたところから、まずデジタル制御との融合が開始しました。
信号を自動で制御する「シーケンサー」の機能も、アナログの段階からすでにシンセのモジュールのひとつとして存在していたのですが、70年代後半に入ると、こちらもデジタル・シーケンサーとなります。これによって、演奏情報が数値化したのでした。音を鳴らすために、音程やリズムをすべて数値で入力するようになり、この作業が「打ち込み」と言われるようになります。
さらに、シンセサイザーやシーケンサーの機能から分化する形でリズムボックスという打楽器音を鳴らせる機材が登場しました。これは、あらかじめ決められたプリセットを選ぶだけのものでしたが、こちらがシーケンスのプログラムが可能になると、リズムマシンと呼ばれて区別されるようになります。リズムマシンの発展は、日本のメーカーRolandによって主導されていき、世界のクラブミュージックの進化に大きな影響を与えました。
はじめてマイクロコンピュータを内蔵してプログラミング対応になったリズムマシンは、1978年のRoland「CR-78」でした。ここから、各機種の特徴的な音色が現在まで残る、代表的なリズムマシンが続々と誕生します。
機械的なプログラミングによる、こうした規則的なビートの誕生は、ハウスやテクノといったジャンルの発展に大きく貢献し、主要なポップミュージックにも広く取り入れられるようになりました。
◆MIDIの誕生とデジタルシンセの時代へ
さて、このようなリズムマシンだけでなく、先述したとおりシンセサイザーの演奏情報も数値化され、打ち込みによる自動演奏が試行錯誤されていった中で、1982年に「MIDI規格」が制定されました。これは、いつ音が始まり、どの高さでどの音量で、いつ音が消えるか、という演奏情報の規格です。この共通の規格が決められたことにより、異なる楽器間での演奏情報のやり取りが可能になったのです。
MIDIの送受信によって自動演奏が可能となり、MIDIをプログラムするMIDIシーケンサーが普及していきます。これによって、従来のハードシーケンサーは衰退していきました。ただ、MIDIを打ち込むためには、当時高価だったコンピューターを使用する必要があるなど、ハードルは高かったようです。ともあれ、ここから生演奏だけではない数値入力の「打ち込みサウンド」の本格的な開始となったのでした。
MIDIの誕生を受けて、1983年にはヤマハがフルデジタル構成のシンセサイザー「DX-7」を発売。MIDIを初搭載した画期的なシンセサイザーとして普及していきました。
DX-7では、音色の合成方法として「FM音源方式」が採用され、シンセベルの音など、硬質でキラキラした音色を得意としました。特にきらびやかなエレクトリックピアノのサウンドは、それまでのエレピの主流であったローズピアノやウーリッツァーなどに対して、小型であることも含め、そのシェアを奪うまでのものになります。
フルデジタル構成の利点として「作成した音色データの保存・再現が簡単に可能」「いち早くMIDI端子を装備し、容易に他のデジタル楽器と組み合わせることが可能」というふうに、アナログシンセサイザーから革命的な進化を遂げ、1980年代中盤以降の音楽に幅広く使用されることとなりました。
さらに、こうしたFM音源のデジタル合成方式のシンセだけでなく、PCMシンセというものも登場しました。これは、メモリに波形を記録しておいて、MIDIによって波形をメモリから再生するというもので、現在鍵盤楽器で「キーボード」といえば、ほとんどがこの方式です。
PCMシンセは、1980年代初頭にフェアライト社の「フェアライト CMI」や、ニューイングランド・デジタル社の「シンクラヴィア」などで登場しましたが、当時はまだPCMシンセ1台で家が買えてしまうほどの購入コストがかかり、一般層においては実用的ではありませんでした。その後、1988年にKORGの「M1」でようやく実用的になり、シンセサイザーの音源方式の1つとして定着していったのです。
PCMが広く採用されたことによる影響として、各種鍵盤楽器の仕組みの違いが無くなっていった、ということが挙げられます。別々の楽器であったエレクトリックピアノ、電子オルガン、シンセサイザー、デジタルピアノなどは、発音の仕組みとしてすべて同じもの(PCM)になっていき、今ではこれらの呼称の違いは「演奏目的の違いによる鍵盤数や搭載機能の違い」だけとなっています。
◆サンプラーの普及
1960年代に開発された鍵盤型のテープ再生機であるメロトロンがサンプラーのはじまりだとされますが、ビートルズやキングクリムゾンの楽曲で使用されたほかは、あまり普及しませんでした。しかし、80年代に入ると、デジタル技術によるサンプラーが登場し、低価格化も実現。急速に普及していきます。特に日本のAKAI社のMPCなどによって一般化していきました。
ハウスやテクノなどのクラブミュージックのDJにはもちろんのこと、もともとレコードを使用したブレイクビーツの発見によってサンプリングの手法が産声を上げていたヒップホップの分野においても、低価格のサンプラーの普及は歓迎され、ターンテーブルとレコードを使用したDJプレイに加えて、サンプラーの使用による「引用」と「再構築」の可能性が広がり、さらに抜き出した音を楽器音として演奏するパフォーマンスも開発されました。
ドラムマシンとの接続やエフェクトの使用など、新たな手法が開拓されていったほか、サンプリングの手法が発達するにつれて、単純に楽曲を聴かせる目的のDJの選曲とは別に、再構築に適した、良きグルーヴを持つマイナーな楽曲(リリース当時は正当な評価を受けていなかったものや廃盤になったレアなもの)に価値が見出されるようになり、発掘が進んでいきました。これは「レアグルーヴ」と呼ばれて評価されました。
◉1990年代以降~現在
1990年頃からは、パソコンの低価格化・ハードディスクの容量増加が始まったことで、ハードディスクレコーディングの時代が到来しました。
電子楽器・鍵盤楽器方面の発展状況においても、MIDI信号のプログラミング作業はPCでの打ち込みが一般的となっていきます。
一つの楽器で複数の音色やパートを鳴らせる「マルチティンバー音源」が一般化したため、複数の楽器間でMIDI情報のやりとりを行った際に、音色の互換性の問題が発生するなど、データの共有面で困るようになっていました。(ちなみに当時の記憶媒体はフロッピーディスクがメインの時代です。)
そこで、1991年、MIDI信号において音色の番号の並び方をある程度共通させた音色マップや、ピッチベンド・モジュレーション・音色チェンジなどの表現の制御情報・命令までアサインすることのできるコントロールチェンジなどが定められた「GM規格」という統一規格が制定されました。現在のPCMシンセ・キーボードはほぼ、この規格に従っています。
その後、MIDIというデジタルの演奏情報そのものをプログラミングする「MIDIシーケンスソフト(シーケンサー)」と、音声録音・編集を行う「オーディオ編集ソフト(レコーディングシステム)」が、お互いの機能を取り込む形で統合されていき、現在「DAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)」と呼ばれるシステムの基礎が完成したのでした。
さらに、ハードウェアの機材ではなくパソコン内にインストールする形のソフトウェア音源(ソフトシンセ)、エフェクターなどが、すべてDAWの拡張機能としてインストールする「プラグイン」として統合コントロールされるようになります。
パソコンを利用して楽曲制作をおこなう音楽制作手法は「DTM(デスクトップ・ミュージック)」と呼ばれ、現在まで定着しています。
21世紀に入るとパソコンやDAWのさらなる普及により、個人の音楽制作のハードルが格段に下がり、DTMが音楽制作の標準システムとして定着しました。現在の音楽業界はDTMの時代であるといえるでしょう。