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レビーのお父さん

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レビー小体型認知症を患った父と家族のドタバタ劇。 父の運命のハンドルは突然奪われてしまったけれど、あちこち体当たりしながら、皆でハンドルに手をのばして最後まで走り抜けました。私た…
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#家族の物語

ミモザの候 1:「たぶん、安全なのです」 ープロローグー

とうとう、購入してしまった。何度も、幾度も、書店で手にとっては、パラパラと眺めては、息苦…

jala
10か月前

ミモザの候 2: こんなに空が高い日には...

海を渡る電車から眺めた空は、とても高く、澄んでいて、春の気配を感じさせていた。 海が果て…

jala
10か月前

ミモザの候 3: リビングダイニングでの「ショートステイ」

父の終の棲家は介護施設のリビングダイニングの片隅だった。「ショートステイ」枠での生活はほ…

jala
10か月前

ミモザの候 4: 同世代の主治医

父は78歳で亡くなった。 介護施設付きの訪問主治医は父と同世代の男性だった。一度父の容態…

jala
10か月前
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ミモザの候 5:「マニジュ」

父との面会を終えて、夜に高速バスで移動する。 ちょうど仕事で複数のプロジェクトを抱えてい…

jala
10か月前

ミモザの候 6: 金剛杖と納経帳

父の棺には、母とまわった四国八十八か所のお遍路で使った金剛杖と納経帳も納められた。赤い織…

jala
10か月前
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ミモザの候 7: ラジオ体操と「ありがとう」

ヨガ歴が25年を超える母は、毎朝のラジオ体操を日課にしている。 まだ父が家にいた頃、彼女は妹の介護もしていた。実家の家じまいやお墓のこと、相続等々のことがらが重なり、彼女の心身は疲労困憊していた。 そんなある日、自転車で転んでしまった。股関節を痛めたため、もうヨガのクラスには通えなくなった。それ以来、彼女は毎朝熱心にラジオ体操をするようになった。 そんな母を横目で見ることはあっても、あるいは、時にちょっとだけ一緒に体操をするふりをすることはあっても、ラジオ体操が父の日課

ミモザの候 8: 遺影をえらぶ

自宅に戻った私は、翌日いつも通り仕事に出かけた。朝はやく、父の訃報が届いていたが、その日…

jala
10か月前

ミモザの候 9: レビー小体型認知症

認知症というのは、多くの病気の中で唯一、自分の治療について自らが決定権をもつことができな…

jala
10か月前
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ミモザの候 10: 修羅場

レビー小体型認知症専門医のもとを離れ、認知症専門の町医者にかかっていた父。しかし、しだい…

jala
10か月前

ミモザの候 11: ズボン

私の住む街にはお年寄りが多く住んでいる。だからだろうか、民家を借りたデイサービスの施設や…

jala
10か月前
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ミモザの候 12: スノームーン

私は空を見上げるのが好きだ。夜空、とりわけ月の満ち欠けを眺めるのが好きだった。月替わりに…

jala
10か月前

ミモザの候 13: 特売チラシと穴子どんぶり

父が施設にお世話になった約2年の間、家族は週に一度、大きな荷物を抱えて面会に通った。 こ…

jala
10か月前
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ミモザの候 14: いのちが交錯するとき

道端で倒れていた父が真夜中に救急車で運ばれたちょうどその頃、伯母は看取りの時期を迎えていた。異母妹にあたる彼女の世話を、母はそれまで何年も続けていた。グループホームへ戻りたい、という彼女の願いをかなえるために、看取りの退院の手続きに入っていた。 病院とは医療的処置をする場である。この至極あたりまえのことが、家族のいのちが消え入りそうな時には、きわめて残酷な事実としてつきつけられる。 実際、父のあの時には、医師の説明を受けて廊下に出ると、「もう、ここではすることはありません