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ミモザの候 8: 遺影をえらぶ
自宅に戻った私は、翌日いつも通り仕事に出かけた。朝はやく、父の訃報が届いていたが、その日はどうしても仕事を休めなかった。前日に私なりのお別れをできたこと、それがせめてもの救いだった。だから、私は意外にも淡々と一日を過ごしていた。
遺影をえらぶ。
それは、少し前から静かにそれぞれの口に上っていた。
私にとって最後の面会となったその日、介護士のUさんは、施設で撮りためた写真のなかからいくつか候補を見せてくれた。そこには、笑顔の父がいた。
家族みな疲労困憊していたので、遺影はその写真から選ぼうという暗黙の了解が出来上がりつつあった。私も、そんなものか、とその時は思った。
でも。
うっすら、「違う」。
念のため、デジカメを自宅にもって帰ろう。
帰路の電車から眺めた空。故郷の海は遠く果てしなく続き、空高く天へと開かれていた。水面には穏やかに冬の陽がキラキラと踊っていた。
「いや、違う、違う、違う。あれだけ、ええ恰好しい、のお父さんだ。笑顔だとはいえ、あの写真を望むわけがない」。ふいにそう思い、即座に車内から家族にメールを送った。
そうして、私が遺影をえらぶことになった。
とはいえ、まだ父の息がある。帰宅した夜はどうしても、その作業はできなかった。
訃報を受け、明日朝いちばんの新幹線に乗らなければならない。もう深夜だ。これ以上逃げられない。
私は、ようやく、データの海に飛び込んだ。いちばん見慣れた父を探して。
いくつかの候補の中から家族皆で選んだ遺影は、出雲へ旅をした時に母と二人で写真におさまっているものだ。ジャケットとおそろいの濃紺の帽子をかぶった、ちょっと気取った父。笑うでもなく力むでもなく、旅先で弾んだ心をかかえて穏やかな顔をしている。
そこには縁あって連れ添った夫婦の時間が流れていた。
データを保存したとたん、大粒の涙がこぼれてきた。
とうとう、私は、父の死を実感せざるをえなかった。
2020年2月
2022年9月4日 記