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ミモザの候 11: ズボン
私の住む街にはお年寄りが多く住んでいる。だからだろうか、民家を借りたデイサービスの施設や、廃校になった小学校を改築した大規模な介護施設、そして個性的なケアホームがたくさんある。利用者をのせた施設のバンが、児童の送迎バスと同じくらい元気に走りまわっている。コンビニやスーパーで一人分の食材を求める高齢者の姿を目にすることも日常だ。
ふと、ズボンに目がとまる。
足元の不安とズボン丈は反比例する。お洒落の話は別として。
とりわけ、短く裾上げされたズボンをはいている人は、だいたい決まって介護用の靴もはいていて、一人で散歩している姿にもどこかその方の家族の気配を感じる。
そうした方と店やバス停や信号待ちで居合わせると、そっと見守る目が意外にもあちこちから注がれていることに、最近気がついた。
人は、人生のある時点で生活に何かしらの介助や介護が必要になると、衣食住のそれぞれにおいて、これまでの生活を徐々に変えていかなければならない。体の必要に応じて、ユニバーサルデザイン指向へと、自然と舵をきらざるをえなくなる。
着るものでいえば、たとえばズボン丈から。
まだ自宅にいた頃。症状のせいで食事量が減り睡眠の質も悪くなっていた父は、少しずつ痩せはじめていた。だが、自分の身のまわりのことは、かろうじて、できていた。
気がつくと、父は、母のチノパンをはいていた。
おそらく父は、それが母のものだとは気づいていなかったと思う。チノパンなんて父のワードローブにはありえなかったが、父なりに、その時の自分に必要な安心できるはき心地のものを手にしたら、それが偶然母のチノパンだった、ということだろう。
たしかに、母のズボンは父のそれよりも丈が短い。ややふっくらさんの母のサイズは、やせた父にはちょうどよかったらしい。
母が数年前におろしたベージュとブルーの色違いのチノパンは、いつのまにか父のワードローブとなっていた。
母は、はじめは驚いてはいたものの、父から2本のチノパンを取りあげることはなかった。
施設に入って、父の「食」と「住」はある程度お任せできた。けれど、「衣」だけは家族が調達しなければならなかった。巡る季節と父の状態に応じて、必要な衣類は変わっていった。
父のズボンも、よそゆき仕様のものからパジャマを兼ねたスエットまで、洗濯がきくものを中心にそろえられていった。
父は、結局、その半分ほどに足を通すことはなかった。
さて。父の葬儀が終わって1週間ほどたって、私たち家族はお世話になった施設へ挨拶に行った。そして、ひとつの大きなダンボールを引き取ってきた。
そこには、父の約2年間の施設での生活が詰まっていた。父へ差し入れた洋服はすべて丁寧にたたまれていた。
そうして。3回忌を終えた今年の夏、母は見慣れぬズボンをはいていた。
「これ、おとうさんの。家ではくにはいいやろう?スーパーにも大丈夫やろう?」
淡いグレー地に薄いブルーのチェック柄の薄手のズボンは、父が入居して最初の夏、よそゆき用に母が選んだものだった。
あのダンボール箱、とうとう、開けてみたんだ、と私は思った。
あの箱は家族の悲しみの象徴でもあった。2年以上、仏壇がある座敷の続きの間に、どん、と置かれたままだった。開けようとしたこともあったが、父の匂いをまとった悲しさに圧倒されて、すぐさま閉じてしまった。これが「遺品」といわれるものだった。
父のよそゆきのズボンは、丈もサイズも色合いも今の母にちょうどあっていた。
母は嬉しそうだった。
2017年~2022年夏
2022年9月7日 記