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レビーのお父さん

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レビー小体型認知症を患った父と家族のドタバタ劇。 父の運命のハンドルは突然奪われてしまったけれど、あちこち体当たりしながら、皆でハンドルに手をのばして最後まで走り抜けました。私た…
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記事一覧

ミモザの候

2024年4月@note 私が、あの頃、思っていたであろうこと。 めまぐるしい日々とさまざまに交…

jala
10か月前
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ミモザの候 1:「たぶん、安全なのです」 ープロローグー

とうとう、購入してしまった。何度も、幾度も、書店で手にとっては、パラパラと眺めては、息苦…

jala
10か月前

ミモザの候 2: こんなに空が高い日には...

海を渡る電車から眺めた空は、とても高く、澄んでいて、春の気配を感じさせていた。 海が果て…

jala
10か月前

ミモザの候 3: リビングダイニングでの「ショートステイ」

父の終の棲家は介護施設のリビングダイニングの片隅だった。「ショートステイ」枠での生活はほ…

jala
10か月前

ミモザの候 4: 同世代の主治医

父は78歳で亡くなった。 介護施設付きの訪問主治医は父と同世代の男性だった。一度父の容態…

jala
10か月前
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ミモザの候 5:「マニジュ」

父との面会を終えて、夜に高速バスで移動する。 ちょうど仕事で複数のプロジェクトを抱えてい…

jala
10か月前

ミモザの候 6: 金剛杖と納経帳

父の棺には、母とまわった四国八十八か所のお遍路で使った金剛杖と納経帳も納められた。赤い織のカバーがかかった納経帳は父の胸元に置かれた。棺いっぱいに入れられた真っ白な花々、その合間から、棺を閉じる最後の瞬間まで、納経帳の赤色がかすかに見えていた。 斎場は驚くほど混んでいた。こんな真冬に、こんなところに、こんなに大勢の人々が次々と集まっていた。荼毘にふされる時間も予定より長くかかった。とはいっても、長くゆっくり荼毘にふされるというのではなくて、各家、それぞれのお式に時間がかかっ

ミモザの候 7: ラジオ体操と「ありがとう」

ヨガ歴が25年を超える母は、毎朝のラジオ体操を日課にしている。 まだ父が家にいた頃、彼女…

jala
10か月前
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ミモザの候 8: 遺影をえらぶ

自宅に戻った私は、翌日いつも通り仕事に出かけた。朝はやく、父の訃報が届いていたが、その日…

jala
10か月前

ミモザの候 9: レビー小体型認知症

認知症というのは、多くの病気の中で唯一、自分の治療について自らが決定権をもつことができな…

jala
10か月前
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ミモザの候 10: 修羅場

レビー小体型認知症専門医のもとを離れ、認知症専門の町医者にかかっていた父。しかし、しだい…

jala
10か月前

ミモザの候 11: ズボン

私の住む街にはお年寄りが多く住んでいる。だからだろうか、民家を借りたデイサービスの施設や…

jala
10か月前
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ミモザの候 12: スノームーン

私は空を見上げるのが好きだ。夜空、とりわけ月の満ち欠けを眺めるのが好きだった。月替わりに…

jala
10か月前

ミモザの候 13: 特売チラシと穴子どんぶり

父が施設にお世話になった約2年の間、家族は週に一度、大きな荷物を抱えて面会に通った。 この施設はアットホームがうりもので、家族の面会も自由で、朝から就寝時間までならいつでも開放されていた。しかし、現実として、自宅から車で片道小一時間の道のりは、父と家族の空白の時間をそう簡単には埋めさせてはくれなかった。 それでも、尊いこの時間を、私たちは大事に大切にいだき、楽しみにしていた。 さて。 父の居場所が自宅から施設になっただけで、そこには衣食住の必然はついてまわる。病を得ても