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ミモザの候 1:「たぶん、安全なのです」 ープロローグー
とうとう、購入してしまった。何度も、幾度も、書店で手にとっては、パラパラと眺めては、息苦しくなってその場を立ち去った。
あの時、父は、どんな世界に住んでいたのだろう。彼にとって、世界はどのように映っていたのだろうか。あの時、彼が発した言葉は...。
父が亡くなってから2年半が経った。漠然とではあるが、彼の闘病について、いつか言葉にしたいと思っていた。けれど、怖かった。あの濃密な時間にぐいっと引き戻されるのではないか。見知らぬ感情が溢れてしまい、その渦にのまれ、深い沼へと溺れ落ちてしまいそうで怖かった。
レビー小体型認知症。父もまた、著者の樋口直美氏と同じ病名をもっていた。
時間だけが流れていった。
ツイッターのFFさんのなかに、偶然にもレビーのご家族を介護している方たちがいた。お母さま、お父さまたちだ。TLには目まぐるしく変わる日々が流れてきた。
私のなかに、不安の海を懸命に泳いでいたあの頃がよみがえった。限りない同情が湧いてきた。同時に、海が凪いで穏やかな光輝く瞬間も思い出された。限りない共感が湧いてきた。
そうして、時間だけが流れていった。
そんなある日、書評がツイッターに流れてきた。
人間の時間は、記憶の無数の糸が複雑につながり合い、どこまでも広がっている網のようなものだ。数えきれない他者の時間の網と結び合い、私の時間が終了しても、途切れることなく広がっていく。
著者は、脳の故障で、自分からはこの網はよく見えないが、でもこの網は「たぶん、安全なのです」と書く。
「『見えないと大変。困ったことが起こる』と考えると、不安にも心細くもなります。でも、故人も含めて無数の人やものや出来事と(意識にはのぼらなくても)つながっているのなら、そこから転がり落ちるような怖い目には遭わない気がします。私はたぶん、その上に身を委ねていればいいのです。」
心にすうっと風が通り、からだ全体がふうっと柔らかくなったのを感じた。
そして、酷暑のある日、駅ビルの書店でとうとう購入してしまった。
まだ本棚に座ったままだし、読むか読まないままでいるのか、自分でもわからない。手に入れたものの、私の心は少し重い。タイトルが目に入らないようブックカバーもかけてもらった。徒然に記すのが精一杯かもしれない。
それでも、今を捉えて、言葉をおいていこうと思う。
「たぶん、安全なのです」と、樋口さんのように、そしておそらく父もそうしたように、私も、時間の網の上に身を委ねてみようと思う。
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2022年8月25日 記