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ミモザの候 10: 修羅場
レビー小体型認知症専門医のもとを離れ、認知症専門の町医者にかかっていた父。しかし、しだいに症状がすすみ手に負えなくなったため、地元でアルツハイマー型認知症の名医とされる医師の診察を、3か月まって、受診した。
母は、父をその病院へ入院させる覚悟をしていた。ただ、ベッドに空きがなかった。
そしてとうとう、その時がきた。
限界に限界が重なった。極限だった。
それはたまたま、私が帰省したその1時間後のことだった。
父の不安は一線をこえた。
父は浴室に入っていき、入浴中の母をとがめはじめた。母に呼ばれた私はすぐさま浴室に駆けつけ、父を脱衣所へと誘いだした。
父は何か言っていた。
けれど、見慣れぬその様子に、父が暴れだすのではないかと恐れた私は、とにかく父の両手を握って動きをおさえようとした。
父の体中にみるみる力がこもってきた。何をするのだ、という力だった。
こうなればもう、父と私の力比べだ。やせ細った父、それでも、私よりも背丈も高く腕力もある。私は精一杯の力で父の力に対抗した。
自分の不安をどうしてわかってくれないのか、と、父は繰り返し、ずっと、そうしたことを言っていた。
ここで力を緩めてしまっては、この後何が起こるかわからない。私は、絶対に負けられない。
父の息は荒くなっていった。私は、黙って、祈るように踏ん張った。
押し合い圧し合い、お勝手の前まで出てきて、なお、私たちは張り合っていた。ただただ、時間が流れた。
ふいに、なぜだかわからないが、「おとうさん...」とあまえて体を父にあずけてみた。
父は、怒りでもなく、不安でもなく、不思議な頑なさで私に応えた。父の力が緩むことはなかった。
30分ほどたっただろうか。背が高く恰幅のいい警察官が、「おとうさん、おとうさん、そんなんしたらダメやろ」と後ろから父を抱えた。
すると、あっけなく、父は私から手を離した。
「あっ、逮捕された!」と私の中の茶目っ気が横切った。とたん、私はその場にヘナヘナと座り込んでしまった。私の息は荒くなり、両腕がガクガク震えた。体中に痛みがはしった。
その夜、6人の警察官が一斉に家に入ってきた。どうやら、お風呂から飛びでた母があの後通報したらしい。
ベッドが置いてある部屋に連れていかれた父。あの警察官がつきっきりで相手をしているようだった。
地元の派出所から2人、近隣から2組×2人、計6人。
「なんてことだろう。こんなにたくさんのおまわりさん!やっぱり鉄砲、持ってるのね。みんな背が高いな。おおっ」。
いつのまにか、自分の中の、当事者でない自分が、面白おかしく状況を分析していた。
簡単な事情聴取のようなものがあった。
若手の警察官は、「最近、認知症の家族が家庭内で事件を起こすことが多いので、こういうことがあったら遠慮なく警察を呼んでください」と言った。そして、最近市内であったという、就寝中に妻を殺めてしまった認知症の夫の事件を例に挙げた。それは、後で調べてみても、新聞のどこにも載っていない事件だった。
あぁ、間違いなく、これは、修羅場だ。
その後、派出所のパトカーに乗せられて、父は入院することになっていた「権威」がいる病院の救急へ行き、クスリを処方されパッチを貼って帰って来た。
ところが、である。翌日の夜、父は脱走した。
闇の中、懐中電灯を手に皆で北に南に東に西に、探し回った。川に落ちていないか、どこか見つからないようなところに転げ落ちていないか。田舎だからあたりは真っ暗だ。
父は、この果てしない闇の、いったいどこにいるのだろう。
当て所もなく途方に暮れそうになる。が、一刻を争うことだけはわかっている。
突如、弟の車が照らすライトのなかに父が現れた。車にひかれないように、田んぼの脇へ体を寄せて倒れていた。父は異常なほどぐっすりと眠っていた。
「ちゃんと、車にひかれないように身を寄せて。あっぱれやん、あぁ滑稽やなぁ」と、自分の中の、当事者ではない自分が、またつぶやいた。
携帯で呼ばれて皆が集まった。そこは、昔、父が飼い犬の散歩コースで歩いていたところだった。
昨日もらったクスリがまだ効きすぎているようで、父は起きない。まったく動かない。こんな真冬にパジャマ一枚だ。「今日のこの寒さなら、このまま見つからなかったらダメだっただろう。よかった」と派出所の定年近くのベテラン警察官が言った。新米女性警察官はしきりになにかメモをとっていた。
4人がかりで、重くふにゃふにゃした父をなんとかして車に押し込んだ。
一段落ついて、ベテラン警察官が、「救急車を呼んで」と言った。意外だった。えっ、このまま連れて帰れないの?
携帯を持つ私の手は、震えながら119番をおした。
近くの神社の境内で救急車と待ち合わせ、そこから1時間ほどのスッタモンダを経て、父は市街にある病院の夜間救急へと運び込まれた。
父が自宅に戻ったのはそれから約1年と5か月後のことだった。
死の危機を奇跡的に乗り越えて、わずか2時間ほどではあったが、父は我が家へと一時帰宅を果たしたのだった。
2018年2月
2022年9月5日 記