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ミモザの候 14: いのちが交錯するとき

道端で倒れていた父が真夜中に救急車で運ばれたちょうどその頃、伯母は看取りの時期を迎えていた。異母妹にあたる彼女の世話を、母はそれまで何年も続けていた。グループホームへ戻りたい、という彼女の願いをかなえるために、看取りの退院の手続きに入っていた。

病院とは医療的処置をする場である。この至極あたりまえのことが、家族のいのちが消え入りそうな時には、きわめて残酷な事実としてつきつけられる。

実際、父のあの時には、医師の説明を受けて廊下に出ると、「もう、ここではすることはありませんので。退院先はありますか」と看護士長が申し訳なさそうに、でも冷静に言葉を添えた。

人は、懸命に生まれでて、懸命に死んでゆく。

いのちの「まるごと」を前に、鼓動は息苦しくなるほど熱く、ゆっくりと、そして鈍く私の体をうつ。そして、心臓がすこし浮くような、浮遊したくなっている自分の体を覚える。同時に、私を繋ぎとめようとする地面からの力を足元に感じる。

この感覚、いつもそうだ。きっと、これから向きあっていかなければならない現実へのスイッチが入るのだろう。

父が精神病院に入院したちょうど翌週には、伯母の看取りの退院のための会議があった。

その日の午後、看護師長、担当看護士、ソーシャルワーカー、訪問看護師、グループホーム施設長、ケアマネージャー、そして母と私の計8人は、ナースステーション脇のホールで車座になった。それぞれの立場から知見と提案がだされ、退院のための具体なステップが議論された。

私にとっては、はじめて身を置く世界だった。

伯母は病室でいのちの風に吹かれている。
その叔母の、いのちをあずかる者たち。

その場に姿はなくとも、車座の中心には、伯母のいのちがあった。

会議を終えて母とともに伯母を病室にたずねた。あれこれ病室を出入りする私は、ふと廊下で声をかけられた。伯母のケアマネージャーだった。

初対面の彼女と軽く挨拶を済ませると、「これ、お母さんに渡して」と彼女は小さなメモを差し出した。そして、「忙しい人だから。こちらから話はしているので、必ず連絡してね」と言って、小走りにその場を後にした。

そこには、あの介護士Uさんの連絡先が記されていた。

2018年2月
2022年9月13日 記


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