jala

二度生まれ。 note 投稿は、私が私を超えるための挑戦。

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マガジン

  • 塾という「場」についてのワーク

    学校に通い塾には通わない生徒、学校と塾の両方に通う生徒、学校は通わず塾だけに通う生徒、塾を学びの場所とする浪人生etc. 塾は私たちの日常にあふれていますが、そこはいったいどんな「場」なのでしょうか? 塾という場で起こっていること、作られている学びについての思索のワークです。

  • レビーのお父さん

    レビー小体型認知症を患った父と家族のドタバタ劇。 父の運命のハンドルは突然奪われてしまったけれど、あちこち体当たりしながら、皆でハンドルに手をのばして最後まで走り抜けました。私たち皆あっぱれ!です。 レビー小体型認知症の患者さんとご家族にとどきますように。

最近の記事

塾という「場」 12 ー学校の先生たちにむけてー まとめ

まとめ塾での学びのありように光をあて、言葉を与え、紹介してきました。 塾という場では、生徒という対象がそもそも破れているために、フォーマル教育である公教育で求められる学力をつける要素とともに、インフォーマル教育やノンフォーマル教育における学びの作られ方という要素も大きく作用しているといえます。 今回紹介した「生活のなかに学びがある」、そしてそこに学力も位置するという視点は、まずは、生徒のエンパワメントという視点につながるでしょう。 日々過ごしてくということ、生活、その多様

    • 塾という「場」 11 ー指導のありようー 

      3-3 指導のありよう抽象的な話が続きましたので、ここで具体的な指導のありようを提案してみたいと思います。   学びの援助の仕方、関わり方としては、 ・ティーチング ・コーチング ・カウンセリング ・コンサルティング この4つを駆使することになります。   簡単にまとめると、 ・ティーチングとは、教える側からの知識の伝達 ・コーチングとは、教わる側の自主性の発揮を引きだす ・カウンセリングとは、-を+へ転化させる ・コンサルティングとは、解決策を提示する ということです。  

      • 塾という「場」 10 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー ケア的な支援

        (v)ケア的支援へ 「すべての労働は、ケアリング労働だとみなすこともできる」とD.グレーバーは述べています(デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブーくそどうでもいい仕事の理論』 307頁 岩波書店 2020)。 さいごに、この視点から検討してみたいと思います。   もし、「教育とはケアリング労働である」と仮定するならば、それはまさに、教育者が、『「もろさ」の強さ』を引き受ける、ということによってではないでしょうか。   それは、究極的には、己の人格を差し出す、ということで

        • 塾という「場」 9 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー 対話

          (iv)対話 自分を知り、深め、押し広げていくという世界の立体化。 それは、異なる視点を獲得し、言葉に至らない思いをすくいあげ、自分の物語として修正し編みなおしていくということです。それは、対話的プロセスによって駆動しています。   生徒、指導者ともに、他者に対しても自分に対してもつねに対話的に接するということが重要です。   「対話的」というのは、それぞれがそれぞれのリアリティを超えて、経験を重ね合わせることによって、新たな視点を獲得していくことにつながります。哲学的な問答

        • 塾という「場」 12 ー学校の先生たちにむけてー まとめ

        • 塾という「場」 11 ー指導のありようー 

        • 塾という「場」 10 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー ケア的な支援

        • 塾という「場」 9 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー 対話

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        • 塾という「場」についてのワーク
          12本
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        記事

          塾という「場」 8 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー ネガティブ・ケイパビリティ

          (iii)ネガティブ・ケイパビリティ 「わからないこと」に慣れる、「わからないこと」から逃げない、そして「わからないこと」を面白がる、という態度は学びづくりを考える大きなヒントになります。   ここで、重要な概念を紹介したいと思います。 「ネガティブ・ケイパビリティ」(帚木蓬生 『ネガティブ・ケイパビリティー答えの出ない事態に耐える力』 朝日新聞出版 2017)です。 ネガティブ・ケイパビリティは、詩人Jキーツが創作活動において欠かせない能力として示した概念です。主に、精神

          塾という「場」 8 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー ネガティブ・ケイパビリティ

          塾という「場」 7 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー 物語的な個人

          (ii)物語的な個人 ここで、少し視点をかえて、希望、について取り上げてみたいと思います。   希望学の知見(玄田有史『希望のつくり方』岩波新書 2010)によると、 ・そもそも、人間は、日々生きる困難のなかで、希望をどうしてももってしまう、もたざるをえない動物、である ・希望は変化と密接な関係があり ・未来に向かって現状を変化させていきたいと思うときにあらわれるもの ・育まれていくもの ・模索の過程そのもの といった特徴があります。                     

          塾という「場」 7 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー 物語的な個人

          塾という「場」 6 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー 視点の相対化

          3-2 生徒の「まるごと」に寄りそう 「生活のなかに学びがある」「生徒のまるごとを引き受ける」という点について、さらに見ていきましょう。   キーワードは、 ・視点の相対化 ・物語的個人 ・ネガティブ・ケイパビリティ ・対話 ・ケア です。   (i)視点を相対化する 生徒の存在、「まるごと」を引き受けるということは、そこに生徒の世界があるということを、まず、引き受けることです。   そして、「生活のなかに学びがある」ということは、言ってしまえば、生徒の世界を立体化していく

          塾という「場」 6 ー生徒の「まるごと」に寄りそうー 視点の相対化

          塾という「場」 5 ー「学び」のありようー 対象が「破れている」

          3 塾という場における「学び」のありよう「なんだかわからないけれど、いろいろな要素が絡んでいるようだ」と思われた方が多いのではないでしょうか。「なんとなく、わかる」「まぁ、そんなものだ」と感じられた方もいらっしゃると思います。   その通りです。私たちにとって、あまりにもあたりまえの、ありふれた、しかも明確に組織化・体系化されていないところで起こっている学びです。このもやもやとした言語化しにくいものが、塾という場が持つ性格なのです。   これから、その塾という場で「学び」がど

          塾という「場」 5 ー「学び」のありようー 対象が「破れている」

          塾という「場」 4 ー場としての塾をめぐってー 成果・結果・評価

          (承前) (ii)何を成果とし、学びの結果として評価するのか 生徒による塾での学びを考える上で、卒塾に際しての、「楽しかったです」「もう、だいじょうぶ」「これから頑張ります」といった彼らの言葉がヒントになるかもしれません。   ほとんどの生徒と高校卒業までの数年間一緒に勉強をしますが、受験前の半年あるいは1年間を集中して指導する生徒もいます。生徒も私も、いい時もそうでない時も、一緒に時を過ごします。お互いが、「まるごと」で対峙します。   生徒と対峙する時、生徒の家庭生活、学

          塾という「場」 4 ー場としての塾をめぐってー 成果・結果・評価

          塾という「場」 3 ー場としての塾をめぐってー 学びの評価

          (承前) ③塾での学びの評価とは? 塾での学びに対する評価についても、公教育のそれとは多少異なる側面があるかもしれません。 これまで述べてきた、主体、そして主体をとりまく諸条件がここに大きく関わってくるようです。   てがかりに、誰が評価するのか、何をもって成果として評価するのか、という点について考えていきたいと思います。   (i)誰が評価をするのか 塾での学習をめぐっては、常に複数の要因がつきまといます。   評価に関して、とくに、誰が評価をするのか、については、正直に言

          塾という「場」 3 ー場としての塾をめぐってー 学びの評価

          塾という「場」 2 ー場としての塾をめぐってー 主体・状況・条件

          2 塾という「場」生徒の学びが起こる場である塾は、「場」として、どのような特徴をもっているのでしょうか。 2-1 塾の「場」って? 最初に、これから述べていく「塾」のイメージを皆さんと共有しておきたいと思います。 巷にはあらゆるタイプの「塾」とよばれる教育を担う場所があります。大手有名進学塾や、医歯薬理系に特化した受験塾、地域密着型の補習塾などです。また、授業形態としても、直接指導もあれば、ネット指導もあります。あるいは、学習機会を提供するものとしては、家庭教師という形態

          塾という「場」 2 ー場としての塾をめぐってー 主体・状況・条件

          塾という「場」 1 ー学校の先生たちにむけてー イントロ

          1 イントロダクションみなさんは塾という場について、どのようなイメージをもっていますか?お子さんを塾に通わせている方はどのくらいいらっしゃいますか?担任する生徒の何割くらいが塾に通っているか、ご存知ですか?   一般的には、塾は、「学力を伸ばす場」だと考えられていると思います。具体的には、受験や進学のための学力や偏差値のアップ、また定期テストの対策、そのほか日々の補習といったイメージがあります。   確かに、塾の役割は、第一義的には学力をつけることです。もちろん、子どもを塾に

          塾という「場」 1 ー学校の先生たちにむけてー イントロ

          「自分の真実を語る」 スケッチ5

          いちばん苦しかった時が、 私の生はいちばん濃かった。 そう思える日が来たこと。 あの経験を、経験としてとらえられる日が来たこと。 こころが、あの章を閉じる日。 そんな瞬間は、ふと、おとずれる。 色づきを待つモミジの下で。

          「自分の真実を語る」 スケッチ5

          「自分の真実を語る」 スケッチ4

          「自分の真実を語る」 スケッチ4

          「自分の真実を語る」 スケッチ3

          「自分の真実を語る」 スケッチ3

          「自分の真実を語る」 スケッチ2

          手術を受けた家人の退院のお迎え。 ナースステーションわきの面会サロンで待機する。 朝10時の予定時刻が近づくにつれ、その日退院の患者たちがひとり、また一人と確認手続きをしていた。 家人が出てくる前に4人ほど。 お迎えがある方が2人、単身の方が2人。 歩行器を使う人、車いすの人。 「元気」というには程遠いけれど、皆さん、ナースステーションを背にしてゆっくり、ゆっくりとエレベーター口へと向かっていく。 ふと、 どの方も、決して、振り向かないことに気づいた。 あぁ、ここは戦

          「自分の真実を語る」 スケッチ2