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ミモザの候 6: 金剛杖と納経帳

父の棺には、母とまわった四国八十八か所のお遍路で使った金剛杖と納経帳も納められた。赤い織のカバーがかかった納経帳は父の胸元に置かれた。棺いっぱいに入れられた真っ白な花々、その合間から、棺を閉じる最後の瞬間まで、納経帳の赤色がかすかに見えていた。

斎場は驚くほど混んでいた。こんな真冬に、こんなところに、こんなに大勢の人々が次々と集まっていた。荼毘にふされる時間も予定より長くかかった。とはいっても、長くゆっくり荼毘にふされるというのではなくて、各家、それぞれのお式に時間がかかっていたということだと思う。

昔から変わらない斎場だ。あの時、その時...経験した回数はそれほど多くはないが、いつも同じ景色だ。毎回、番号が呼ばれるまで、あの大きな広間で一行はいくつかのテーブルにわかれ、欲しくもない軽食を注文し、疲労しきったからだを支えながら、あまり親しくない親族たちと差し障りのない話をして時間をつぶす。私はホットケーキセットを注文した。

番号が呼ばれ骨上げ式の時間がきた。喪主の弟が父を迎えに行き、キャスターを先導して戻ってきた。「おやじ、よく焼けてるわ」と彼は言った。彼なりの深い深い悲しみの表現だと思った。と同時に、不謹慎かもしれないが、彼のいつもの調子にほっとした。

父が私たちの前に戻ってきた。熱い。なにもかもなくなってしまっているけれど、背丈は確かに父だった。骨も歯もしっかりと残っていた。収骨を担当した男性は、喉仏がたいへんきれいな仏様の姿をしている、と驚きすこし興奮して説明した。

ふいに、私は、父の胸のあたりの骨が赤いことに気づいた。金剛の杖をついて、今、祈りとひとつになった父。弘法さんに導かれて、こうやって人は浄土へと向かうのだ、と思った。

男性は斎場の玄関まで静かに帯同し、ゆっくり深々と頭を下げて私たちを見送った。

2020年2月
2022年8月31日 記

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