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ミモザの候 13: 特売チラシと穴子どんぶり

父が施設にお世話になった約2年の間、家族は週に一度、大きな荷物を抱えて面会に通った。

この施設はアットホームがうりもので、家族の面会も自由で、朝から就寝時間までならいつでも開放されていた。しかし、現実として、自宅から車で片道小一時間の道のりは、父と家族の空白の時間をそう簡単には埋めさせてはくれなかった。

それでも、尊いこの時間を、私たちは大事に大切にいだき、楽しみにしていた。

さて。
父の居場所が自宅から施設になっただけで、そこには衣食住の必然はついてまわる。病を得てもそれが変わることはない。

課された宿題を仕上げるかのように、家族は次の面会までにあらゆるものを買いそろえた。

この「買い物」という仕事は意外と大変で、時には大きなストレスになった。家族の愛情が試されているように思えることさえもあった。

衣料品、身の回りの物、衛生用品、食料品等々、時季、父の症状、時期に応じてさまざまなものを差し入れた。

父はこの施設での2年間で、要介護2から3、そして4、5へと駆け抜けていった。レビー小体型認知症で併発したパーキンソンの症状、その大波は、医師、介護士、父、そして家族の試行錯誤の努力によって時に凪ぐことはあっても、決して止むことはなかった。

父の身体機能はひとつ、そしてまたひとつとそがれていく。それは、穏やかな日々を切り裂くように、決まって、毎回突然おとずれるのであった。

認知症患者の家族は、患者になってしまった家族を、ひとつずつ諦めていく。

同時にそれは、患者になってしまった家族を、ひとつずつ明らめていくことでもあった。

「あきらめる」という言葉が、重力を帯びて、心にゆっくりと沈んでいく。

父が施設に入って半年ほどたった頃だっただろうか。父と同世代の男性が新しく入ってきた。彼は、リビングダイニングのベッドのお隣さんになった。介護士Uさんによると、彼もレビー小体型認知症だった。

その頃の父は、介護とリハビリがとても順調に進み、身体機能も改善し、症状も薬も丁寧にコントロールされていた。医師と相談のうえ、レビー小体型の認知症患者をもう一人受け入れても大丈夫だろうと、彼を引き受けたそうだ。

とにかく、レビー小体型の患者は、本人はもとより、家族が大変だ。

そして、これはあまり知られていないことだが、レビー小体型認知症は患者の受け入れ施設や治療・介護法をきわめて選ぶ病である。入浴や食事の介助はともかく、妄想や幻想、パーキンソンの症状を管理するといった医療面でのケアの必然が、アルツハイマー型とは決定的に異なるのである。

新人さんの彼(Sさん)は、ダイニングテーブルの父の向かいに定位置を得た。Sさんは現役時代、父と同じ業種の仕事についていたらしい。面会に訪れると、職業柄か手慣れた様子で書類に見立てた新聞を整理していた。そのSさんを前に、父は、スーパーの特売のチラシを同じように広げて整理していた。

おもしろいなぁ。人間はどこまでもおもしろい。

よく見ると、父が整理するそのチラシにはところどころ赤丸がついている。どうやら食べたいものにつけられているらしい。つまり、「来週、差し入れてくれ!」という私たちへの宿題である。すでに父はチラシのカラー写真をみて、口をモグモグさせている。

おもしろいなぁ。人間はどこまでもサバイバルだ。

父は大食漢だった。それは施設にいても、病を得ても、嚥下機能が低下しても変わりなかった。食事に生ものをださない施設にまるで喧嘩をうるかのように、特売チラシの刺身セットには必ずいつも赤丸がついていた。介護士さんたちも微笑んでいる。

もちろん、以前より食は細くなったものの、施設で3食しっかり食べたうえでの差し入れだ。父がとくに好きな赤身のマグロ、鯛、ハマチ等の食べやすいものを調達した。時には、お猪口サイズのビールと共に。

私たちは父が床に伏してしまうまで、刺身だけでなく、季節の果物、ありとあらゆる種類のご飯のお供やふりかけ、そして和洋問わず大量のおやつを届けた。

面会の時は、父を囲んで、家族が食べさせた。ささやかな団欒だ。お刺身や、母がタッパーに用意した桃、ナシ、ブドウ、いちじく、メロンなどを、もう小さくしか開かなくなった口いっぱいに頬張って、父はニコニコとゆっくり味わっていた。

「食の力!」が口癖の介護士Uさんも、私たち家族も、父の旺盛な食欲を歓迎した。

そう、衣食住のなかで、最後まで命をつなぐのは食だ。粗食ではあっても、父方も母方も代々食を大事にしてきた。素材のありのまま、まるごとを、ありがたく美味しくいただく。

さて。
いつの頃からか、施設に父を訪ねるときには、張り出されている1週間の献立を眺めることが、私の密かなお楽しみとなっていた。

地元に古くからある料理学校が母体となっているこの施設では、献立も郷土料理を中心とした家庭料理がメインとなっている。決して豪華ではないが、季節と故郷を感じられる料理法と味付けは、家族がここを気に入っている理由の一つでもあった。

メニューにはうどんやサンドイッチも登場する。そして、水曜日のお昼はかならず「穴子どんぶり」だ。

穴子どんぶりなんて、健康な私たちだってしょっちゅういただくものではない。「穴子さまって、栄養価がすごいのね」とウナギ好きの私は穴子の実力を称賛した。ここだけの話、毎週決まって登場する「穴子どんぶり」にちょっとだけ嫉妬していた。

やがて、あのレビー仲間のSさんは、入居から半年ほどで自宅に近い施設へうつっていった。奥さんが一人で遠方から面会に通っていたが、やはりそれも限界だった、ということだった。

「同僚」を失った父は、しばらくの間、心なしか寂しそうにしていた。
そして、父がチラシを整理することもなくなった。

施設にいた頃の父を思い出すとき、まっさきに浮かんでくるのは、美味しそうに楽しそうに差し入れを食べる様子だ。そこには決まって、Sさんと、特売のチラシと、メニュー表の穴子どんぶりと、介護士さんたちや入居者さんたちと、父と、私たち家族がいる。

ただひたすらに生を全うしようとする父がいる。

「あきらめ」を愛しむ皆の笑い声が聞こえてくる。

二度と戻れないあの時間の、あったかい食事の香りがしている。

2018年~2019年
2022年9月7日 記

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