ito piano

46歳のピアニスト・ピアノ講師です 2022年4月に 小腸癌ステージ4 余命1年を宣告されました 戸惑いながらの治療と、日常を記録します

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46歳のピアニスト・ピアノ講師です 2022年4月に 小腸癌ステージ4 余命1年を宣告されました 戸惑いながらの治療と、日常を記録します

最近の記事

小腸がんと私 16

外科医は毎朝ぞろぞろと 白い巨塔バージョン(チーム)で 朝の7時過ぎにベッドへやって来てました 毎晩眠れていなかった私は 夜明けごろにやっとウトウトしかけるのですが 白い巨塔に毎朝寝込みを襲われていました 朝の7時に身だしなみを整えて 病院に居る外科医 同じ先生が夕方回診に来たりするので 家に帰っているのかな 何時間寝ているのかな、と 頭の隅でいつも思っていました 色々と説明を受けるため 寝ているわけにはいかず 飛び起きて胸元を整え (病衣は紐なので乱れている)

    • 小腸がんと私 15

      胃と腸を繋ぐバイパス手術を近々に控え また色々なことに思いを巡らせていました 毎日、部屋には 緩和ケアの看護師さんが2人 それぞれの役割を遂行するために 来てくださってました 1人は、ただひたすらに 話を聞いてくださる人でした 話を聞いてもらっても 何も解決はしないのですが 人に伝えようとすることで 頭を整理しながら 口に出して自分の言葉を自分で聞くことで 自分がどう考えているのかの道筋ができる 手助けにはなっていました その人は特に私の話に対して 解決しようとす

      • 小腸がんと私 14

        私の病気は「小腸がん」 大動脈リンパと鎖骨と腹膜に転移があり ステージ4 手術は不可能 薬はない 標準治療も存在しない 代替えの準治療期間は1年=これが余命とのこと 5年生存率6% 10万人に1人の希少がん 普通に毎日生き生きと 仕事をしていた私にとって 到底受け入れられるはずもなく ここまで書き連ねてきた通り 絶望しか感じられない状態で 今現在も、状況も気持ちも なにも変わっていません 私は「癌で死ぬ人と死なない人がいるのは どうしてなんだろう」 と考えることがあり

        • 小腸がんと私 13

          手術の日を待つまで ずっと絶飲絶食で 高濃度の点滴だけで生きていました 病棟の廊下にある体重計で 毎日自分の体重を見ていました 100gずつ、必ず毎日減っている体重 このまま私は消えて無くなるのではないか? 不安になるなら計らなければよいのに 素通りできない体重計 ずっと、自分が痩せていくのを 不安に感じていました この頃の1番の悩みは 今後仕事をどうするか、ということでした とりあえずお休みにさせてもらっていましたが 自宅で教室を運営する身なので 自分次第という

          小腸がんと私 12

          6歳下の妹がいます 妹の方が姉に見えるほど とてもしっかりした人で 病気になってからは 本当に妹の存在がありがたく、 この人なしではもう生きていけない と思うほどです けれども妹と私は真反対のタイプで 病気をきっかけに 私はより、自分をよく知ることになりました 妹は私を元気付けるために いつもこう言っていました もっとぎゃんぎゃん泣けばいいのに 私は顔が変わるほど泣いていましたが いつも1人で堪えるように泣いていました 人目も憚らずにもっと 狂ったように泣い

          小腸がんと私 12

          小腸がんと私 11

          適応障害と言われても、言われなくても 特に自分の病状が何も変わることはなく むしろ何がどうなっても 何も変わらないことに苛立ちも感じ始めました 変わるがわる入れ替わる看護師さんみんなに 今の気持ちを同じように話してみました この人はどう言うかな この人はなんて言ってくれるかな 少しでも自分の気持ちが軽くなるような ひとことを求めて話しました でも、何も解決しない みんな私にはなれないんだ 結局誰に何をどんな風に話しても 自分だけの問題なんだと知らしめられるだけで

          小腸がんと私 11

          小腸がんと私⑩

          入院中のある日 ダチョウ倶楽部のメンバーが 自殺したニュースを聞きました ついに、思いました 私も死んでしまいたい 自殺の方が楽だ 手術までまだ1週間もあり 途方もない気持ちと向き合うのが 本当に疲れてきた頃 毎晩眠れなくなり 多分少しウトウトくらいは していたのかもしれませんが 眠りが浅いために ずっと起きていた感覚になっていました 特に明け方になると 本当に気持ちのやり場がなく どうしようもない時は 夫や妹にLINEをして その返信をずっと見つめながら 時間を

          小腸がんと私⑩

          小腸がんと私⑨

          私は1人の病室で 絶飲絶食のまま10日間を過ごすのですが 本当にやることがなく やりたいと思うこともなく ただ朝になって、気がついても 5分くらいしか経っておらず 夜寝る時間まで12時間 途方もなく時間が過ぎず 食べられないし飲めないし 本当にやることがなくて これが本当に地獄かな、と思っていました 私は病気がわかる前から ずっと毎日気持ちを綴るノートをつけていて 病気になってからも続けていました とにかくノートを開いて 今の気持ちを全部、書き出していました 書

          小腸がんと私⑨

          小腸がんと私⑧

          この記録は現在の11月から 4.5月を振り返って書いています 私と面識のある方、応援してくださる方 インスタのストーリーで 毎日、現在の日々の記録を残していますので そちらも宜しかったらお願いします 家族一同の写真も載っており 私の本音そのものを毎日呟いています だいたい笑っていますが ときどき泣きます 抗がん剤に悩まされながら コンクールに出る様子 夜中に寂しさのあまり 食べ物を作るクッキング動画 ピアノの練習をしながら 死生観を語ったり 私の命を救ってくれ

          小腸がんと私⑧

          小腸がんと私⑦

          初回の抗がん剤が終わり退院しましたが その頃の私はもう2ヶ月近く 固形の食事がとれない状態が続いていました 体重は日に日に目減りしていき  もともとあった52キロから10キロ近く落ち 歩いていても息切れするし 立ちくらみがあったり またベッドに横になると 肩の骨や腰の骨が布団に当たって痛いほど 筋肉も脂肪も落ちていたし、 思考力も鈍っていて 自分で何かを決めたりすることが ほとんどできなくなっていました この時期食べていたものは バナナを潰したものや りんごをす

          小腸がんと私⑦

          小腸がんと私⑥

          CVポートは術後すぐに使えるとのことで 抗がん剤の日になりました まず、朝から色々な人が部屋に来て 私に様々な説明をしていきました 特に印象的だったのは薬剤師さん 若い男性でしたがとても優しくて 私へ抗がん剤の説明をしながら 泣いてくださったのです 言いにくいのですが… このお薬は…ずっと使えるわけではなくて… 手が痺れて…あ、ピアノを弾かれる方ですよね ええと…うん…でも痺れで弾けなくなる前に お薬をやめることもできますが… ううん…ええと…でも… でも伊藤さんはお

          小腸がんと私⑥

          小腸がんと私⑤

          セカンドオピニオンを終えて またすぐに 元の病院に戻らなければいけませんでした セカンドオピニオンの先生が あまりにもお優しくベテランだったので こちらの病院に変わることも 少し考えてしまったのですが 両親が1日でも早く抗がん剤をしないと 若いのだから進行が心配だ、と強く言うため すぐに戻って 予定されていた日程でCVポート手術 続けて抗がん剤をすぐ受けるスケジュールで 再入院しました 病室に1人でいると もう、泣くしかなく どう考えたらいいのか どうすれば今の自

          小腸がんと私⑤

          小腸がんと私④

          県内の別の病院に セカンドオピニオンに行った時の話です 夜逃げ同然で病室を飛び出し (入院してすぐ何もせずに退院) そんなに離れていない別の病院に行きました まず電話で予約した段階では セカンドオピニオン1ヶ月待ち と言われたのですが 病状を聞かれ 小腸癌のステージ4だと伝えた途端 明日来てください、となりました 消化器外科の1番偉い先生が ぜひ私を診たい、と仰ってくださったようで 急いでいるだろうから 明日の午前中に来ていいですよ と言ってくださったそうです

          小腸がんと私④

          小腸がんと私③

          4月17日 2回目の入院の日になりました 送迎してくれた家族とは コロナの関係で病室がある階には上がれず エレベーターの前でお別れです 心細い気持ちで、指示された階へ上がり 看護師さんの案内で部屋に入りました おかゆしか食べられないのを 伝えてあったのに普通食が出てきたり 個室をお願いしていたのに 大部屋に通されたり 主治医の名前が知らない先生だったり 行った瞬間から色々あり 心細さが倍増し 母や妹にずっとLINEをしていました 血液内科から消化器内科へ変わった

          小腸がんと私③

          小腸がんと私②

          ひとり息子の入学式が無事終わった頃 殆ど食事が摂れず 体重が日々、目減りしていました 食べていたものは 朝はロールパンのような柔らかいパンを ふたかけくらいと、飲み物 昼は野菜を潰したポタージュのみ 夜は野菜のかけらを少し これらで、どうにか嘔吐せずに 過ごせていました どうして嘔吐する日としない日があるのか よく分からないな、 と思いながら恐る恐る 繊維質の少ない、 柔らかいものを食べていた感じです 特にお腹が空いて困るとか そういうこともないほど 食欲はありませ

          小腸がんと私②

          小腸がんと私①

          ちょうどその頃は 息子の大学の入学式がある頃でした 食事がほとんど摂れず 衰弱していた私は すぐに入院するように強く勧められましたが 絶対に嫌だと、泣きながら拒否しました 大学受験が終わってから すぐに体調が悪くなったので 殆ど息子の新生活の準備をしてやれず 周りの人にどうにかしてもらっていて 出来るだけ息子と過ごして 話を聞き、してやれることをしてやりたい と思っていたからです もしまた嘔吐することがあれば すぐに来る、という約束で 入院を拒否し家に帰りました

          小腸がんと私①