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小腸がんと私③

4月17日
2回目の入院の日になりました


送迎してくれた家族とは
コロナの関係で病室がある階には上がれず
エレベーターの前でお別れです

心細い気持ちで、指示された階へ上がり
看護師さんの案内で部屋に入りました

おかゆしか食べられないのを
伝えてあったのに普通食が出てきたり

個室をお願いしていたのに
大部屋に通されたり

主治医の名前が知らない先生だったり

行った瞬間から色々あり
心細さが倍増し
母や妹にずっとLINEをしていました

血液内科から消化器内科へ変わったことで
主治医が変わり

主治医とは殆ど初めまして状態での
入院になっていました

誰も信頼できる人がいない
急にひとりぼっちの気分になりました

誰を頼れば良いのか
心細さで涙が止まらない中

すぐに、こんなことがありました

顔を合わせて殆ど2回目くらいの若い主治医が
更に若い研修医を連れて、部屋に来ました

「伊藤さん、これからCVポートを埋め込んで
1回目の抗がん剤をするからね、2週間くらいの入院になるかな」

「先生、私はこれからどうなるのですか」

「うーん、この抗がん剤は10回も20回も出来る薬じゃないからなー。」

「じゃ抗がん剤はいつ終わるのですか?
10回以下で終わるのですね?」

「伊藤さん、ハッキリ言うけど…
伊藤さんの抗がん剤は終わらないよ。
もう、ずっと抗がん剤を止めることは
できない状態かな」

「どういう意味ですか、
抗がん剤が続けられないのに終わらないって…」

「伊藤さんの今の状態は、リンパに転移があるからステージは最高の4、手術はできないよ。
標準治療もなくて、準標準治療になるけど、
その治療が出来るのも1年までが山場で…
それくらいで治療を終えることになるけど、
そのあとは…
その時になってみないと分からないな」

先生が仰る意味が全然分からない、
と思いながら
分かるけど分かりたくない

それに、その時にならないと分からないって
どういう意味かな

何より強く印象に残っていて忘れないのは
そういうやりとりをしているすぐそこで

若い研修医が寄り目になって
前髪を気にしてずっと触りながら横にいたこと

この人なにしてんの
人が余命を聞いてる瞬間に…

ただ、
先生も慮ってくだされば良いのに
これらを全部1人で聞いてしまい

理解できるはずもなく

その後すぐ
もう一度きちんと話を聞くため
母と夫を呼んでもらうことにしました

そして同じ日の夜、母と夫が病院に来て

お昼に私が聞いたことを
もう一度、先生の口から聞きました

リンパに転移があることで手術が不可能であり
抗がん剤による延命治療しか
方法はない、という事と

もしも高齢であったら
もう治療はしない状態だけど
あなたは若いから延命しなければもったいない

だから抗がん剤をするということ
治療の目的は治すことではなく
「延命」であるということ

そして治療を続けられるのは約1年で
イコールそれが余命と言える、ということ

夫は取り乱して饒舌になり
先生に矢継ぎ早に質問をし始め、

母は横で黙ってうなだれていました

私は…まだ他人事のような
他人事と思いたいからそう思うような

打ちひしがれて泣くというよりも
呆然となって
どう捉えて良いのか分からない状態

主治医が部屋から出た後
すぐにこう思いました

他の先生ならどう言うのかな
あの若い主治医で大丈夫なのかな
もしかしたら、誤診かもしれないし
他の先生が見たら手術ができる、
と言うかもしれない

そう思ったら居ても立っても居られなくなり
他の先生に見てもらう方法を調べました

その時には「セカンドオピニオン」
という言葉さえ、きちんと知っていた訳でなく

ただひたすらに、どうすればそれが出来るか
手当たり次第に調べて
あちこちに電話しました

調べるうちにそれが
セカンドオピニオンというものであり
患者の権利であることも知りました

行こう、絶対セカンドオピニオンに行くべき
このまま病院の言う通りにするのは早過ぎる

そして県内ではありますが
取り急ぎ話を聞いてくれる病院を見つけ

なんと翌日に行くことになります

その日の夜、
まだ面識も浅い主治医に頼み込み

診断書などを揃えてもらいました

先生に「お忙しい中を急がせてすみません」
と言うと

「伊藤さんに残された時間に比べたら
自分が仕事を急ぐことくらい
全然なんてことないよ!」

思いやりの言葉なのか
ただ、軽いノリの人なのか
どうなんだろうと少し感じつつ

ありがたくそのまま退院し
翌日、別の病院に行くことになります


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