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小腸がんと私②

ひとり息子の入学式が無事終わった頃
殆ど食事が摂れず
体重が日々、目減りしていました

食べていたものは

朝はロールパンのような柔らかいパンを
ふたかけくらいと、飲み物
昼は野菜を潰したポタージュのみ
夜は野菜のかけらを少し

これらで、どうにか嘔吐せずに
過ごせていました

どうして嘔吐する日としない日があるのか
よく分からないな、
と思いながら恐る恐る
繊維質の少ない、
柔らかいものを食べていた感じです

特にお腹が空いて困るとか
そういうこともないほど
食欲はありませんでした

病気を全く受け入れられていないので
毎日が本当に辛く、苦しく

どうしてこんなことに
どうしてこんな目に、と
毎日終日、泣いているか
抜け殻のようになっているか
どちらかのような感じでした

普通に歩いている人を見るだけで
羨ましさで泣けてしまい

テレビで笑っている芸能人を見るだけで
羨ましさで泣けてしまい

日常が突然無くなった私にとって
地区のゴミ箱がキーと開く音が聞こえるだけで
涙が止まらない状態でした

小腸癌を調べても
本当に希少らしくて殆ど何も分からず

分かることは
小腸癌でブログを始めた人の更新が
途絶えていることや

メディアで取り上げられた人が
亡くなったことや

治療法が存在しないこと
どこのサイトの何を見ても
「小腸の場合」が書かれていないこと

何を見ても何もわからず
情報もなく

もう自分のことを
諦めるしかない感覚になっていました

車で30分ほどの距離に住む妹が
仕事終わりに毎日、家に来てくれて

特に何も言わずにずっと遅くまでいてくれました

私の言葉に対してのみ
励ましたり、慰めたり、頷いたり

色々調べたことを聞かせてくれたり

毎日違うお店のプリンを
持ってきてくれたりしてました

夜になってもよく眠れず
朝になったら悲しくて泣き

10日ほどそうして過ごし
入院となりました

入院する前の診察で
聞いていたことなのですが

私が使う抗がん剤は
3日間、48時間の持続点滴とのことで
腕からの点滴では難しいため

CVポートと言って
肩に点滴の受け口を埋め込む手術が必要
とのことでした

その説明を聞いた後
私は看護師さんに、こう質問しました

「それは、抗がん剤が終わったら
また手術で外すのですか?」

この質問に対して
看護師さんは難しい顔をして

「…もう、ずっとかな、ずっとそのまま」

それを聞いて私は

ずっと、っていつまで?
ずっとって?

どうしてずっとなのか、
その時の私にはピンときませんでした

治療って、治すのが治療でしょ
ずっと抗がん剤を
死ぬまで続ける訳ないでしょ

死ぬまでとか、そんなはずないのに

ずっと、ってなんだろう

その時は言葉が思い浮かばなかったので
質問を返せませんでしたが

今となって思えば
看護師さんはこの先どうなるか分かっていて

私の場合
治療は「治す」ものではなく
「延命のため」だと分かっていたのに
まだ言わなかっただけなんだろうな

と感じています

まだ宣告から僅かな日しか経ってなかったので
看護師さんもそこまでは
言えなかったのかもしれないし

延命のための治療、というフレーズは

今の私なら理解できていますが
自分で今、その時を振り返っても

もう治せないから延命だ、と言われて
正気で飲み込めるとは思えません

次回はCVポート手術と抗がん剤の初回の話

そして病室から夜逃げして
セカンドオピニオンに行った話をします

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