小腸がんと私 11
適応障害と言われても、言われなくても
特に自分の病状が何も変わることはなく
むしろ何がどうなっても
何も変わらないことに苛立ちも感じ始めました
変わるがわる入れ替わる看護師さんみんなに
今の気持ちを同じように話してみました
この人はどう言うかな
この人はなんて言ってくれるかな
少しでも自分の気持ちが軽くなるような
ひとことを求めて話しました
でも、何も解決しない
みんな私にはなれないんだ
結局誰に何をどんな風に話しても
自分だけの問題なんだと知らしめられるだけで
なんにも変わらない
何にも変わらないということを
わざわざ知らしめられるだけ
希望を持ったり、期待しようとするだけ
辛くなってきて
人に話すのも疲れるな、もうやめよう
と感じてきました
そんな中、やっぱり
自分の気持ちをどう持っていけば
この辛さが楽になるだろうと
いつも考え続けていました
もう解決できるのは自分しかいないんだ
どう考えれば楽になれるのだろう
「自分は治る」と信じるとすれば
どうなる?とか
「1年で死ぬ」と覚悟するとすれば
どうなる?とか
いろんなパターンで考えてみても
なんにも答えが見つからない
テレビをつけても
インスタやSNSを見てても
もう自分には関係のないことなんだ
という気分にさせられてしまい
何を見る気にもなれず
何をする気にもならず
ただずっとノートに向かって
気持ちを羅列するだけの時間を過ごしていました
妹と夫には、ほとんど毎日
こんな気持ちを吐露していました
妹は妹で、夫は夫で
私が口にすることに対して
思ったことを思ったままに受け入れてくれ
思ったままに返事をしてくれていました
夫はよくこう言ってました
「裕子の気持ちを分かってあげたいけど
分かりきることはできないのと同じように、
俺の気持ちも、裕子は分かりきることは
できない」
その時は自分を保つのに必死で
夫の気持ちまで考える余裕が全く
なかったのですが
今となっては、こう夫が言う気持ちが
少し分かる気がしています
私がこんな病気になってしまったことで
夫の人生をも変えてしまった
本当に申し訳ない
そう思うようになったのは
退院して数ヶ月経ってからでした
今日は夫が私に一生懸命伝えてくれた
言葉たちを、ここに記したいと思います
毎日LINE電話で話し、
夫が私のために考えてくれた言葉たち
忘れないようにノートに書き取り
何度も何度も何度も、何度も何度も
繰り返し見て、自分に言い聞かせていました
・なんでも答えを見つけようとしない
・1人で閉じこもらない、いつでも連絡して
・なんでやろ、と思うことを考え込まない
分からなくてもどこかに答えはある
今は見えないだけだから
勝手に見えてくる時期まで保管しよう
・ネットなど見て勝手に悲観的にならない
・一般論と個人差は別
一般論だけを見て悲観的にならない
自分は違うかもしれないと言う可能性を
勝手に潰す必要はない
・目の前のやるべきことを1つ1つ
クリアしていくことで次が見える
・非日常は、続けば日常に変わる
日常に変わった時に受け入れられる
・1日1日変わっていく、1日ずつ考えも行動も
変わっていく、展開も変わっていく
・目の前のことをまず、見ていく
先のことはその時になってから考える
・1つ乗り越えて、2つめ、3つめと続ける、
一度に先を見過ぎない
・〇〇だったのに…はどこの家庭にもある
絶対うちだけじゃない
・長生きすればそれが幸せではない
長生きしたからこその苦しみも必ずある
・先が見たくなったら
今ここから先の「良い状態」を見据える
・1個1個乗り越えないと先が見えてこない
何も考えるな、とりあえず目の前に
見えていることだけ見よう
・治療やぞ、拷問受けてるわけじゃないぞ
・無意味なことを考えても自分を痛めつけるだけ
勝手に検索して免疫を下げるな
・いつも、今がゼロ、
明日になったらまたそこがゼロ
毎日ゼロからはじまる
とにかく夫は
「今」を見ることを勧めてくれていました
先のことは分からない
勝手に「悪い」と決める必要はない
どう思っていても
どう決めつけても
先のことは分からないから
心配しても、無駄だからね
これらの夫の言葉を頼りに
浮き沈む感情ととにかく向き合い
分刻みで変わる自分の気持ちを
ずっと綴り続けていました
冷静になれれば
自分でも分かることばかりだし
これまでの元気な自分なら
自分で思いつけるような言葉たち
その頃の私は
体重が12キロも減り
39キロまで落ちていました
時々目眩がして
立って歩くのもやっと、という感じで
思考力も落ち
無気力そのものだったので
こうして「答え」を作ってくれる夫が
とてもありがたく思っていました