小腸がんと私⑨
私は1人の病室で
絶飲絶食のまま10日間を過ごすのですが
本当にやることがなく
やりたいと思うこともなく
ただ朝になって、気がついても
5分くらいしか経っておらず
夜寝る時間まで12時間
途方もなく時間が過ぎず
食べられないし飲めないし
本当にやることがなくて
これが本当に地獄かな、と思っていました
私は病気がわかる前から
ずっと毎日気持ちを綴るノートをつけていて
病気になってからも続けていました
とにかくノートを開いて
今の気持ちを全部、書き出していました
書いても何も状況は変わらないのですが
自分の気持ちが整頓されていくような
感覚がありました
むしろ、この現実が変えられないとしたら
自分の考え方を変えるだけで
少しでも楽になれるのではないかなと
ずっと「どう考えればよいのか」を
探していました
そして少しずつ眠れなくなり
そのうち、
一晩で一睡もできなくなり
朝まで起きている日が続きました
起きている時間12時間と
寝ているはずの12時間
悪いことを考えない筈がなく
私はどうやって死ぬのだろう
そればかり考えていました
そして仕事はどうなるんだろう
もう復帰できないだろうな
もう、何もかもを無くした
もう何もかもおしまい
私は自分に「もしも」があった時のために
生徒の保護者の電話番号が
全員分きちんとあるかを確認し、
LINEしか知らない保護者の人には連絡をして
電話番号を整理して夫に預けました
私にもしもがあったら
この人達に連絡をしてね
そうすると、
友人やしばらく会ってない知り合いなど
あの人にもこの人にも…と思い始め
リストを作ることにしました
この人は夫から連絡
この人は妹からにしよう
そうしてノートに書き込んだり
息子や夫にLINE電話をしたりして
どうにか時間をやり過ごしていました
泣いても何にも変わらないし
誰に何を言っても何にも変わらない
看護師さんに泣いて訴えても
そして優しく聞いてくれても
背中を撫ででくれても
一緒に泣いてくれても
どうしたって現実が変わらない
何しても何も変わらない
でも、仕方ないとも思えない
とにかく今までの自分を捨ててしまわないと
どうにも前が見えないような気がしていて
今までの自分はもう居なくなった
もう自分は自分では無くなった
こう念じるように思ってみたり
とりあえず「今」この一瞬を
どうやって過ごせば自分が楽なのか
ずっとずっと考えていました
絶対に、何か答えがあるはず、と思いながら
諦めずに考えようとしていました
外科の先生は
チームで朝と夕方、ぞろぞろと5人くらいで
病室に来られました
見てなかったけど
白い巨塔だぞと毎回心の中で思っていました
そこで外科の先生にこう言われました
「バイパス手術をしても
すぐに食べられるようになる訳ではないし
必ず食べられるようになる訳でもない
良くても1.2ヶ月は消化の良いおかゆなど
良くて半年から1年で普通の大人の半量のもの
2.3年経てば、元通りになるだろう」
2.3年か…私の余命は1年と聞いたし
もう生きている間、普通に食べられる日は
戻らないのか…
とにかく辛かったのは
今までの自分に戻れないと認めることが
できなかったことです
仕事にも戻れない
お腹いっぱいランチにも行けない
大好きなビュッフェにも行けない
今まで普通にやれていたことが
全部無くなった、何もかもできない自分になった
絶望しているところへ
緩和ケアの看護師さんが来てくれました
私は心のうちを話してみましたが
看護師さんからもこう言われました
「暫くは間違いなくお粥かな
お粥が食べられるようになるだけでも
御の字でしょう?」
お粥で御の字?
そんな訳ない、まさかそうは思えない
お粥で御の字だなんて嫌だ嫌だ絶対いや
普通にご飯が食べたい
友達とランチ行きたい
どうして「できるかもしれないよ」って
誰も言ってくれないんだろう
「先のことは分からないよ」って
どうして誰も言ってくれないの
その夜来てくれた主治医も
「伊藤さんは目の前にゴールを作りすぎる
100%を求めるから辛い
病気になった以上は100%から離れるべき
70%まで戻れることを70%で期待する
それくらいでも多いくらいだよ
100%の期待をすることをやめた方がいい」
じゃなんで治療するの?
何のためにこんなとこで
こんな思いしているの
半分治ればいっか、って思えばいいの?
そんなの無理だ、ちゃんと治してよ
心の中で思っただけで
うまく言葉にできず何も言えず
先生の前でも泣くしかありませんでした