小腸がんと私④
県内の別の病院に
セカンドオピニオンに行った時の話です
夜逃げ同然で病室を飛び出し
(入院してすぐ何もせずに退院)
そんなに離れていない別の病院に行きました
まず電話で予約した段階では
セカンドオピニオン1ヶ月待ち
と言われたのですが
病状を聞かれ
小腸癌のステージ4だと伝えた途端
明日来てください、となりました
消化器外科の1番偉い先生が
ぜひ私を診たい、と仰ってくださったようで
急いでいるだろうから
明日の午前中に来ていいですよ
と言ってくださったそうです
実家の母、父、夫と4人で向かい
先生の話をひととおり聞きましたが
病状については相違なく
むしろ、もっと厳しく現実的な話になりました
余命は、治療をしても1年
しなくても同じか、もう少し短いくらい
抗がん剤の副作用は末梢神経障害であるから
ピアノはもう諦めるしかないだろう
あなたの場合は「終わりから始まる治療」
だからその時を迎える覚悟を持って、
その日まで、延命に時間を注ぎ込むしかない
私は思いました
そんな治療ならしなくても良くない?
抗がん剤の辛い治療を続けても
1年なんでしょ
それなら、
しないほうがマシなんじゃない
何のために治療をするんだろう
どうせ死ぬのが同じなら
しない方がいい!しない!
私は、治療しない!
それを聞いた父は
「それでも治療しなさい」と涙を見せましたが
私は全く治療する気にはなれませんでした
何のためか、分からない
それならもう今すぐ死んだ方がいい
だれか、私を殺して、もういい
今すぐ死んでしまいたい
今すぐ、死んでしまいたい
そんなやり取りの中
妹が心配して来てくれて
妹と2人で河原へ行き
病院で聞いた話をひととおり伝えました
もう私はダメだよ
あと1年で死んでしまうんだって
どうしてこんなことになるの
信じられない、どうすればいいの
「お姉ちゃん、
はるちゃん(息子)のために
治療するっていうのはどうかな
大学生ではあっても…早くに残されるより
少しでも長く、少しでも長く
これから一緒に居られる時間を長く持つために
治療しないと。ね、治療しよう」
妹に説得され、少しだけ、ほんの少しだけ
それなら…という気持ちになりました
それでも、気持ちの半分は
迷いと葛藤がありました
とにかく
この辛い気持ちの時間が早く過ぎ去って欲しい
嘘であって欲しい、夢であって欲しい
この気持ちの持って行き場がなくて
胸の中をかきむしりたくなるような
大声を出して叫びたいような
目の前のものを
めちゃくちゃにしてしまいたいような
目の前の車に飛び出す自分を想像したり
手首を切るくらいじゃ死に損ねるだけかなと
想像したり
でも、そう思っても何もできない自分
なんともいえない、
どうしようもない気持ちでいっぱいでした
こんなセカンドオピニオンになるなんて
行かなかった方が良かったと
思ってしまいそうでしたが
なんの知識も覚悟もない私にとっては
誰のどんな話でも
無駄だと思いたくはなく
現実を見ようと
一生懸命、努力していました