小腸がんと私⑧
この記録は現在の11月から
4.5月を振り返って書いています
私と面識のある方、応援してくださる方
インスタのストーリーで
毎日、現在の日々の記録を残していますので
そちらも宜しかったらお願いします
家族一同の写真も載っており
私の本音そのものを毎日呟いています
だいたい笑っていますが
ときどき泣きます
抗がん剤に悩まされながら
コンクールに出る様子
夜中に寂しさのあまり
食べ物を作るクッキング動画
ピアノの練習をしながら
死生観を語ったり
私の命を救ってくれている
教室の生徒との毎日のレッスン風景や
海でおやつを食べながら
闘病を語ったりしています(文字で)
少し先に目標をおき
「できたらいいな」をひとつずつ
叶えていく様子を見ていただいています
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2度目の抗がん剤が終わってから
約1週間後、
夜中、膨満感で苦しくて目が覚めました
吐かないと耐えられないような感じで
トイレでわざわざ吐いて
ベッドに戻りましたが
その後、それが数回続きました
翌朝になっても治らず
朝から何も食べずに何度も嘔吐し
何も食べないまま嘔吐し続け
次の日になりました
水を飲んでもすぐに吐いてしまい
結局24時間以上、
水だけで嘔吐し続けるため
救急で病院に入りました
朝10時に病院に入ったのに
16時まで待たされ
ずっとずっとその間も嘔吐し続け
本当に辛い思いをしました
16時にようやく外来が空いたのか
主治医ではない先生がやってきて
「僕、主治医でないからわからないんですが
閉塞の可能性がありますからこれで繋ぎます」
と真顔で言って、
胃管という
胃の中のものを吸い上げる器具を
鼻の穴から入れられました
「鼻の穴」から「胃の中」へ管を入れるんです
直径1センチくらいはある
まあまあ太いストローみたいな感じです
本当に人体って鼻から口から胃まで
繋がっているんだなぁ…と
しみじみ感じましたが
それはそれは苦痛なんです
これまでも色々なことがありましたが
これがもう本当に最悪で
もう助からない
と言われるような病気になった私は
だいたいのことはもう、どうでもよくて
なんでも来い状態であるのに
この胃管は本当に思い出すだけで辛く
鼻の違和感、喉の違和感が強烈で
2度としたくないことの1つです
胃管に繋がれた私は
そのまま緊急入院となりました
けれどこの胃管をどうしても取って欲しくて
夜中、病室に現れた主治医に懇願しました
主治医は若くて少し軽いノリの先生なのですが
本当はすごく優しいのだろうなと
今となっては感じます
その時も
「先生、お願い胃管を抜いて」と
泣いて頼んだ時
うーん、仕方ないなぁ…
また繋ぐことになるかもしれないけどいい?
いいなら、夜の間だけでも抜いてあげようかな
と言って抜いてくださり、
どうにか初日の夜を無事過ごしました
翌日からは絶飲絶食でした
高濃度の点滴のみで
飲み物もダメでした
夜、主治医が来た時にこう仰いました
伊藤さん、僕ももう覚悟ができたよ
どうするのが1番いいか悩んだけど
ここまで閉塞があったら
手術でバイパスを作るしか方法がないよ
1週間以内に手術が出来れば早い方だけど
もし、もう少し待つことになったらごめんね
翌日になり外科の先生の診察がありました
外科の先生は
内科の先生とは少し雰囲気が違いました
the Doctor という感じで
主治医のように優しくなくて
お情け無用みたいな雰囲気です
「伊藤さん、手術は10日後です
それまで絶飲絶食です」
「先生、もう少し早くできませんか、食べられないのが辛いんです」
「もっと辛い人がたくさん順番を待ってます
伊藤さんは、10日後です」
「私、このままで持つのでしょうか、本当に
ずっと何も食べてないんです」
「まあ、そういう人もたくさんいますよ」
みたいなやり取りをしました
そういう人がたくさんいたって
あんまり自分の慰めにはならず
とりあえずお腹が空いたような
空いてないような
空いたと思いたくないので
なるべく考えないようにして
病室に戻りました
病室に戻るとまた
1人の空間になり
寂しさと悲しさが押し寄せてきました
私は結局その後10日間
絶飲絶食のまま過ごすことになり
色々なことを心から諦めようと
必死になっていました
どう考えたら自分が楽になれるのだろう
この答えはまだまだ、見つかりませんでした