小腸がんと私 13
手術の日を待つまで
ずっと絶飲絶食で
高濃度の点滴だけで生きていました
病棟の廊下にある体重計で
毎日自分の体重を見ていました
100gずつ、必ず毎日減っている体重
このまま私は消えて無くなるのではないか?
不安になるなら計らなければよいのに
素通りできない体重計
ずっと、自分が痩せていくのを
不安に感じていました
この頃の1番の悩みは
今後仕事をどうするか、ということでした
とりあえずお休みにさせてもらっていましたが
自宅で教室を運営する身なので
自分次第というところもあり、
またその責任も全て自分次第ということ
小さな子供たちの将来を預かると考えると
こんな先行き分からない私が
復帰してもずっと見てあげられないかもしれず
ここは教室を解散して
他の先生に全て振り分けるしかないのかな
みんなを手放すしかないのかな
そう想像するだけで
泣けて泣けて仕方ありませんでした
子供達とのお別れももちろん寂しいのですが
大手に20年以上勤めて
そのノウハウを殆ど手に入れた自負と
「独立」という憧れを手に入れ
10年かけて
0人から45人まで築き上げた
私の大切な大切な教室
生徒を集めるために
自分のスキルを磨き、
肩書きを増やし、
国際コンクールをたくさん受け、
国内場所を選ばす講座へ行き、
海外の大学のマスタークラスまで行き
自分にたくさんのお金をかけて
やっと手に入れた「私」という商品
共感して集まってくださった
生徒、保護者様たちは
本当に意識が高く
素晴らしく良い人たちばかりで
私を信頼して
ついてきてくださるような人達ばかりでした
私がすることに疑問を持たずに
完全な信頼をおいて通ってくださる
こんなに幸せな仕事環境に恵まれ
自分は一生、なんの疑いもなく
ずっとこうしてこれを仕事として
続けていける、と思っていました
それが、全て無くなる
仕事が生活の全てだった私にとって
それは耐えきれない虚しさで
この仕事を失う以上の悲しみは
その時見当たらないほどのことでした
もし生きながらえることが出来ても
この仕事がないのなら
生きていく甲斐がない
そうも思っていました
でも無責任なことはしたくない
という気持ちも大きく
中途半端な結論を伝えることもできず
かと言って、
どうすれば良いかを全く決めきれず
この頃はまだ、
保護者さまへ送る予定のLINEの文面を
夫と何度も推敲していました
私が決めるのか、
保護者様が決めるのか
どのような文面で言い表せば良いのか
ずっと悩んでいました
またこんなことも考えていました
この頃の私は周りの家族に
思うことをすべて打ち明けていて
むしろ、どうしたらこの気持ちが
分かってもらえるのだろうと
事細かに、長い長いLINEを
送り続けていました
「伝えよう」とすることによって
自分の気持ちが整理されていく
感覚もあったし
自分が求めている答えを言ってくれる
夫や妹に話すことで
有意義で楽な気持ちで
時間を過ごせていました
付き合う方は大変だろうなと
少し遠慮も感じましたが
あまり気を回す余裕もなく
完全に甘えていました
でも色々と闇を吐き出すことにより
少し冷静になれる瞬間もあり
もし、私が死んだ後
「ああ、楽になった」
と思われたら悲しいな
「もっと一緒にいたかったな」
って思われたいな
と思ったことが何度かあり
もう少し笑顔で明るくいる時間も
増やしていけたらいいな、
ずっと「私と一緒にいたい」と
思っててほしいな、と
電話やLINEをする度
思っていました