海街「とも限らない」話ですが、古い、趣のある昭和からずっとありそうな白い建造物は平成生まれの私の海側の心象風景にあり、昔からずっと見ていたいもの、海街独特の好きなものだなあといつも歩きながら思う。 もっと晴れた水色の空だったらなお良し。白い建造物トークで通じ合う方がいたら嬉しい。
可憐と言う名のフェアリー達 君は、ただ、其処に咲く 咲くと言う使命を全うするかの様に 一時の命を限り無く咲き誇る 君の一生を見守りながら、哀れの趣きに 浸る
詩の効用について。 詩は人の感性を養うと俗に言われている。がしかし、それが何だと言うのか。そう思う人が確かにいる。しかし、もちろん感性は物事の認識のことでしかなく、それはそれがどのようかによって思考に対する可能性を制限するのだから、あながち感性はおざなりにできないのである。
趣きとは。 壮麗な光景。それは美観だから「風雅だ」と、そのように思うのは人間生来の感覚のようである。とすればつまりは、純粋な感覚、いや理性であるのかもしれない。がしかし純粋であるということは実際、無経験ということだから、まあ矛盾しているのである。無経験の可能性(範囲)とはいかん。
どうしたの ? 忘れ去られてしまったのね 雨でツヤツヤ光って綺麗よ ワンちゃんの玩具、逆から見るとひょうきんで めっちゃカワ(・∀・)イイ!! 落ち葉🍂の飾りとても似合っている 白樺ハラリと・・👀ワサワサ落ちないで欲しいわ 何故この白樺だけワサワサ 趣きが・・ふわり(笑)
正否、成否、合否、可否、識別の 「厚み」「移ろい」「奥ゆき」 こそが「趣」である。 獅子と赤子の大きな違いはその趣きだろう。 点数、指数はあまりに趣かない。 推敲、添削も趣かない。 西洋の発狂は西洋にとっての発狂であり、 麻呂麻呂にとっては単なる「風情」かもしれない。