他人は他人で自分は自分だな、という感じ。 当たり前だけど。 他人がやった通りに自分がやってもうまくいかないし、自分がやった通りに他人がやってもうまくいかない。 それも当たり前だけど、みんなは違うと思っているだろう、きっと。 だからマルマル教えてもらおうとする人がいるのだね。
どんなに素晴らしい人もみんな欲を満たす行動をしてる、そう感じるとホッとする、自分も同じで(^^)少し度が過ぎて勝手の域に入ってる?と思える人に出会うと残念になる、お互い様が気持ちいい♫お互いにwin-winが心地良い♫万人同時は難しいから近いカタチを目指していたい (*´꒳`*)
介護も保育も教育もそう、身を預けるということは、生命を委ねるということ!そう捉えるからこそ、現場で働く身になった時は,責任持って生命を守ることを最優先に考えていました。家族をお願いする立場の時は、信頼に値するか?確認作業をしてましたね〜。値しなければ任せない!家族を守りたいから
三陸へ。今回は1年ぶりに私の両親と遠出。帰りに陸前高田市へ。複合施設となり、震災を伝承する地では今までみたなかで一番立派でした!7万本あるうちに残った「奇跡の一本松」の語る姿は圧巻でした。 子供に語り継ぐ。何があったか、何を感じたかを伝えることが「教育」。
最近「過程」を軽視し過ぎでは?と思う 今は要約情報に溢れている でも過程を人任せにして 結論だけ見てると いつまでも自分で要約できない 先日「どんな本を読むべき?」と聞かれ 「たくさん読めばわかるよ」と答えた アイデアも同じ 考えないと 考えなんて浮かばない💡
疑うことは信じるための準備運動。 疑って疑って、確かめて確かめて、 ようやく信じるに足る真理を見出だす。
「この人はなぜこの話を私に聞かせているのだろう?と常に自問しながら聞いてみてください」 「相手がなぜそれをあなたに言ったのかを汲むこと」 「会話をする時に、本人にとって何らかの意味があるから人は誰かに話すのでしょう」 私の場合は言葉を出す際は意図があるので他人の悪口も同調しない