人の記憶というのは不思議だ。 忘れてしまう記憶と、とどまる記憶がある。 私の身体の中に残っている記憶の共通点を探してみた。 分かったのは、その記憶のどれもが、五感との結びつきが深いということ。そして、ふとした瞬間。その記憶と繋がったとき、私は深い深い安堵に包まれていく、ということ。(これは今度。少し探ってみたいテーマ) 「音拾い」を始めたのがいつからだったのか。 それが、どうやって始まったものだったのか覚えていない。 けれど「おやすみ」と言って、母が電気を消し、部屋の扉から
昼でも夜でも、何も聞こえない(虫の声や生活音は別にして)静かな空間に漂う感じが好きなのだ。 小さいころからずっと、「しん」っと静まり返った空間に身体を放りなげて静寂の中を漂うのが好きだった。 そう、漂うのだ。時間も制約も何もない空間に。 ただ、そこに個体としての私が浮いている…そんな感覚だ。 東京に暮らして、気づけばもう30年にもなるけれど、この町で音のない時間を過ごすのは難しい。昼と夜の境目がないこの町では。 それでも時々静かな時間が訪れる。 皆が仕事に出かける日中の、住
久しぶりだった。 しっかり書くって本当に久しぶりだった。 いや、こんなに書いたのは初めてかもしれない。 頭の中にある伝えたい思いをピッタリの言葉で表現する難しさ。 そして構築する難しさ。でもやっぱり、私は「ゼロから何かを作りあげるのが好きだ」と今、思っている。 良しここまで!と決めたときの「爽快感!」も堪らなかった。 (続きはあるけど…)今日の空みたいに爽快だ。 二、三週間前。 久しぶりにPCでnoteを立ち上げた。 その時に目がピタリと止まったのが「創作大賞2022」とい
いよいよ今日から、私が人生の交差点で出会ってきた大切な方たちを紹介していきたいと思います。トップバッターを誰にしようか悩みました。 今の私をつくるきっかけをくださった忘れられない人。トップバッターは 新田町幼稚園、もも組の担任だった、佐藤先生からスタートします。 大人の言葉は、小さな子供の未来をつくる鍵になることを教えてくれた大好きな先生です。 大人の言葉が人生を拓く鍵になる 何度思い出しでも、あれが生まれて初めて、多くの人の前で話した記憶です。真ん中にあった大きなストー
今日は立春です。 太陽を基本とした暦上での「新しい1年」の始まりです。 昨日の2/3は節分は、恵方巻ならぬ海苔巻きをたくさんつくり 邪気を払い、新しい1年を迎える準備をしました。 さて。久しぶりのnoteなんですが。 今日のお話は「小さなことを丁寧にやってみよう」という お話です。 一人一人の生活環境は違っても、 今、自分が、あるいは相手がどんな状態にいるのだろう? という判断材料にもなるのが「小さなこと」を 「どんな風にやっているのか…」だと思っています。 たとえば、食
近頃なんだか、私もだいぶ長く人生を歩いているような気がしてきた。 沢山の人と出会って、別れて、そしてまた新たな道を歩く。 そうした繰り返しの中で私の手元には何が残っているんだろう? そんなことを考えるようになった。 まず最初に思ったのは、 それは「人の言葉」「受け取った言葉」に支えられてきたということ。 それは、彼氏に振られたときのコトバとか、コンテストで酷評されたコトバじゃなくて、「私に向けて渡された言葉」 その、目には見えないけれど大切なものに支えられて今の私がある。と
本屋さんで立ち読みをした、なんとかという本の中に…(ごめんなさい) 「自然と」「空間と」「誰かと」一体化していれば、願いは適います。 という言葉が書かれてあった。 願いうんぬんというのもあったのだけれど、この「一体化」に興味を持ってしまった私は、色んな方法で一体化をやってみよう!と試みたのでした。 色々なものと一体化を試み(何をやっているんだ…と思われる方もいるかと思われますが…)上手く出来るものと出来ないものがあって、1つ大きなことに気づいたのです。 それが「受け取るチ
高校時代にシンガーソングライターを目指してた頃がある。 小さい頃から歌が大好きで、歌っていられたら楽しかった。当時は歌番組に勢力があって、毎週色んな歌番組を見てはデビューを夢見た時期もあった。 コンテストに出ては撃沈して、売れる曲っていうのがナンダカワカラナクナッテ、いつしかその夢は潰えてしまった。 でも、時々、無性に歌が歌いたくなるんだ。それは突然やってきて、それが今夜なわけで、さっきからi-tuneに入れていた曲をかたっぱしから聴き、身体を揺らし、歌を口ずさみながらこの
韓国料理と聞いて、何を思い浮かべるでしょう。 一人旅の記録3つ目は「韓国の食文化」について書いてみようと思います。 韓国の発酵食文化韓国の食べ物は「辛い」と思っている方が多いと思うのですが、実は辛さだけではありません。そこににんにくや生姜、蜂蜜やお酒といったものが入るので、辛さの後ろ側に旨みがあるのが特徴だと思っています。 そして、発酵食の文化ですね。 日本でいう味噌や甘酒なども発酵食ですが、中でもキムチはまさに発酵食。 発酵で面白いのは、常在菌が大きく関わるところです。
私は20年ほど演劇携わってきましたが、今から6年前に演劇のプロデュースという大しごとを最後に、演劇からどんどん足が遠のいて行きました。 その理由の1つが、日本の小劇場というスタイルの限界と、日本における演劇文化の先に未来を見ることができなくなったからでした。 その一方で、質の高い演劇を小劇場で見せる、韓国の大学路(テハンノ)と呼ばれる地域に以前より興味を持ち続けていたのです。 先ず最初に、共通認識として知っておいて頂きたいこと。 それは、日本の小劇場に立っている人たちは演劇
この記録は2019/8/19~8/25までの、私の渡韓一人旅の記録です。 記事のあれこれは私の主観によるものですが、国対国のゴタゴタを乗り越えて、人と人としての交流を大切にしたいと考えている方たちに、渡韓を考えている方には旅のヒントにして貰えるようであれば、とても嬉しく思います。 最初に書いておきますが、この7日間、慎重に行動していたということもありますが、地下鉄や徒歩、タクシーを使いましたが、一度も危ない目には合いませんでした。 渡韓出来るの?私は5ヶ月ほど前に渡韓を決め
昨日、強く感じたことがあります。 それが「大人になると出来なくなることが多いんだ」 ということでした。 昨日は1日企画で「即興」の講座の先生をしたあと、「オトとコトバの楽しき宇宙」と題して、即興の七夕ライブをしました。 お客様に短冊を書いて貰おうと短冊を渡したとき、短冊を前に固まった人が多くいたのです。 漏れ聴こえてくるのは「願いごと」か、なんだろう?ないかも。 というコトバでした。 「えっ?」と思っている傍でこんなことを言っている人がいました。 「子どもの頃は、〇〇になり
近頃は、 はっと気づくと、自分の中を色々と探っているのです。 「どうしてこんな風に思うようになったのか?」 今回の旅は、そんなキーフレーズから始まりました。 思えば、一昨年くらいから自己探求の旅に出かけています。 今回はもうひと月以上の時間をかけてアチコチに出かけている感じです。 昔は、自己探求の旅がとって苦手でした。 深堀りしても迷路に迷い込んでいるような感じになるのが嫌だったのです。でも、ここ数年は、探求の旅を終えて日常に戻ってくる頃にはそれまでの景色からちょっと開けた
ずっと気になっているけれど、ずっと見ないふりをしていたもの。 それが、エンディングノート。 だから、随分前にTwitterで、ドミニクチェンさんが10分遺言という記事を載せていたときも、打ちたいのに怖くて打てなかったのです。 今から随分昔に「7つの習慣」を読んだとき「あなたのお葬式には誰に参加して欲しいですか?」という質問にドキリとしたことも覚えています。 書いたら本当になってしまいそうで怖かったのだと思います。 特に何か大きな事件や出来事があったわけではありません。 た
人は目に見えないものは、なかなか信じないけれど、私は常々、この世の中には人知では理解しきれないことが、まだまだ沢山あると信じています。 それはたとえば、こんなやり方は絶対に無謀だと思われているものがその人の未来をつくるきっかけになったり、医師からもう手遅れと判断された患者さんが病気を克服したりすること、地球上にあるたくさんの奇跡(と呼びたくなるようなこと)を見て来たことが大きいと思います。 そしてこれは、私達には、まだまだ未知のものが、可能性が秘められている。ということなの
1日に2度ほど、目を閉じて、静かな時間をつくる。 この穏やかな時間が好きです。 とはいえ、私の場合、雑念が多いので(笑)目を閉じても、しばらくは雑念がビュンビュン飛び交います。 気になっていることなどが、どうしても頭の中に登場してくるのですが、そうしたことに気づいたら、もう一度呼吸に意識を向ける。 大切なのは、アチコチ意識が飛ぶことを責めないこと。 こうしたところで自分は出来ないんだと、落ち込む必要はありません。 4月末からの2週間あまり、目の前に起きる様々なことに気をと