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サルマン・ラシュディ:境界を超越する文学の魔術師

私にとって小説とは ー絵本読みから小説書きに至るまでの軌跡ー

68回目 "Midnight’s Children" を読む(第20回・読了回)。関西弁の「いちびる」が、ラシュディの自身とこの物語の話題との間に保つ距離の妙のことかと思えてきます。

62回目 "Midnight's Children" を読む(第14回)。常識を逸脱する作り話を英語で書かれると、その読解に私は大変な苦労を強いられます。でもここは頑張りどころでしょう。

52回目 "Midnight's Children" を読む(第6回)。10歳になった男の子二人を例にして「育ち」か「親の資質」かの問題が、面白くしかし深刻なテーマとして描かれます。

61回目 "Midnight's Children" を読む(第13回)。ある意味で英国の一部だったインド、何世代にも渡りそこで育ち形成された人格を「純粋な人々の土地パキスタン」に据え変える作業の過酷さ

64回目 "Midnight's Children" を読む(第16回) 殉教者の誕生なのか最後なのか、しばらく衝撃的なシーンが続きます。

55回目 "Midnight's Children" を読む(第9回)。真夜中の子供たちの会議(Conference) の倒壊は民衆の気持ちと国家の動きの齟齬そのものです。

54 回目"Midnight's Children" を読む(第8回)。試験勉強とは違って「事そのものへの興味」に魅かれ、その結果として英語が身につくことを経験・実感します。

67回目 "Midnight's Children" を読む(第19回)。インディラ・ガンジーが強行した「貧民窟の清掃 Sterilization」という都市の近代化事業

66回目 "Midnight's Children" を読む(第18回)。もう一押し「芸術といえる小説」とは何かについて考えます。

65回目 "Midnight's Children" を読む(第17回)。 時には「プロパガンダ小説」と「芸術と言える小説」の境目に興味が湧くことも。

63回目 "Midnight's Children" を読む(第15回)。ラシュディが描く軍隊における指揮・命令の機序、その「無残さ」に私は「人なるもの」の無力感を疑似体験します。

59回目 "Midnight's Children" を読む(第11回)。およそ40年も前の結婚時のいきさつ以来、おデブでヒステリックで良いところ無しだったサリームの祖母(65才位)が大活躍します。

58回目 "Midnight's Children" を読む(第10回)。今回のエピソード 'Revelation' は読者にとって今か今かと心配が高まっていた隠し事が「とうとう」正念場に来たなという事件です

53回目"Midnight's Children" を読む(第7回)。この小説に不可欠の仕掛けがこれだろうか? これと決めたラシュディ氏、筆のスピードは一気に上がったことだろうと思えます。

51回目 "Midnight's Children" を読む(第5回)。長い小説だからこそ、「途中で飽きられると自分の命が危ない」ことを知っていてラシュディー氏は頑張っているのです。途中々々に楽しさが仕組まれています。

50回目 "Midnight's Children" by Salman Rushdie を読む(第4回)。自分の家族を描くと言いながら政治的リーダー達の行為を見ています。

48回目 ‘Midnight's Children’ by Salman Rushdie を読む(第3回)。英国からの独立と同時にパキスタンとインドという二つの国が作られた時代の人々と社会。

45回目 ‘Midnight's Children 真夜中の子供たち’ by Salman Rushdie を読む(第1回)。私は、リアリズム小説の意味を確と理解したいのです。

『真夜中の子供たち』(岩波文庫 ) サルマン・ラシュディ (著),  寺門 泰彦 (翻訳) インド現代史と主人公の個人史が深く連動するという企みの傑作、というと大真面目な小説と思うかもだが、奇想天外なファンタジーと、下世話な愛と性の一代記でもある。深刻な問題で悪ふざけをする人なのだなあ。

46回目 'Midnight's Children' by Salman Rushdie を読む(第2回)。