登場人物たちが楽しく・ここち良く過ごしているシーンにあっては、それを描く文章が明るいリズムばかりか文章の構造も単純で意味も解りやすくなるものなのでしょうか? ここに拾い上げた2・3の例は偶々なのでしょうか、それとも広く当てはまるものなのでしょうか?
今回の読書対象であるエピソード "How Saleem achieved purity" では悲惨なことが次々に起こります。ネタバレを避けるためだけではないのですが、明るい話題に注目してみました。
1. 70 才にならんとするナシームは自殺した息子の嫁のピアと二人でガソリン・スタンドの営業権を購入。オーナーという地位を背景にしばし幸福な日々を過ごします。 結婚当初から亭主アーダム・アジーズが加齢により徐々に衰え亡くなるまで、祖母ナシームはこの夫とほとんどそりが合うことなく生きてきたのでした。やがて 70 才という今、ナシームはガソリンスタンドのオーナーとして、店舗の個室のような事務室に座り、客を呼び入れ言葉を交わすことで心が解放される喜びを味わいます。祖母ナシームはその厳とした保守的価値観から Reverent Mother とあだ名されています。
[原文 1-1] She and my aunt Pia moved into a modest bungalow in the old part of town; and by pooling their savings, purchased a concession on the long-dreamed-of petrol pump. Naseem never mentioned Aadam Aziz, nor would she grieve over him; it was almost as though she were relieved that my querulous grandfather, who had in his youth despised the Pakistan movement, and who in all probability blamed the Muslim League for the death of his friend Mian Abdullah, had by dying permitted her to go alone into the Land of the Pure. Setting her face against the past, Reverend Mother concentrated on gasoline and oil. The pump was on a prime site, near Rawalpindi-Lahore grand trunk road; it did very well.[和訳 1-1] 彼女(ナシーム)と私の(義理の)叔母のピアはこの町(ラワルピンジ市)の旧い街区にある質素な平屋建て家屋に一緒に住まうことにしました。そして双方の持ち金を寄せ集めて、長い間の夢であったガソリン・スタンドの営業権を手に入れました。 ナシームはアーダム・アジーズ(自分の夫、サリームの祖父) のことを口にすることどころかこの男の死を惜しむ様子も見せないのでした。それは恰も、争いごとを引き起こしてばかりだったこの男が、亡くなることで彼女一人となった暁にはパキスタン側・純粋な人々の国(土地)に移住することを許すという宣言だった、すなわち気が楽になったと感じているかのようでした。何といってもこの男、若い時にはパキスタン運動を嫌悪していて、おそらくながらモスレム・リーグの活動家たちが自分の友達であったミアン・アブドゥラを殺したのだと言わんばかりであったのですから。彼女はこのような過去の経緯に対し毅然とした顔を向け、積みあがった不満を表したのです。そんな高尚な母(ナシーム)はガソリンと潤滑油に全精力をつぎ込みました。このスタンドは街の主要地にありました。ラワルピンジとラホールを結ぶ幹線道路に隣接していました。商売は順調でした。
Lines between line 14 and line 27 on page 455 "Midnight's Children", 40th Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback
[原文 1-2] Pia and Naseem took it in turns to spend the day in the manager's glass booth while attendants filled up cars and Army trucks. They proved a magical combination. Pia attracted customers with the beacon of a beauty which obstinately refused to fade; while Reverend Mother, who was more interested in other people's lives than her own, took to inviting the pump's customers into her glass booth for cups of pink Kashimiri tea; they would accept with some trepidation, but when they realized that the old lady did not propose to bore them with endless reminiscences, they relaxed, loosened collars and tongues, and Reverend Mother was able to bathe in the blessed oblivion of other people's lives.[和訳 1-2] ピアとナシームはマネジャー用のガラス張り事務所には交代で座ることにしていました。自分たちが雇った店員が自家用車や陸軍のトラックといった客の車に給油する作業を見守っていたのです。ピアは客たちに美人である姿を見せることで客の人気を獲得しました。この歳になっても美しさは衰えていなかったのです。一方高尚な母は、自分の身の回りよりも他所の人々の生活に関心を示していました。給油にきた顧客を頻繁に事務所に招き入れてピンク色のカシミール・ティーを振る舞いました。客たちは何事かと不安を感じたのですが、この高齢の女性が終わり無く続く思い出話で聞き手をうんざりさせるのではないと解ると不安もなくなり、首元のカラーを緩め打ち解け、口を弾ませました。そんな訳で、高尚な母は他所の人々の生活の様に耳を傾け、苦労する当事者でないことの幸せを満喫でくることになったのでした。 《訳注》この小説にはハッピーエンドの話が何度となく昔から伝わる「おとぎ話 fairy tale」の体裁で登場します。また著者自身が小説の本文においてこの種の部分を fairy tale と呼んでいます。
Lines between line line 27 on page 455 and line 4 on page 456, "Midnight's Children", 40th Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback
2. 人が奏でる音楽のすばらしさ、それを直接に聞こえる近くで耳にした驚きの表現は「この手」に決まっているのでしょうか? 歌を歌うに並外れた才能の存在に気付いた Jamila(ジャミラ、サリームの妹)。その話を伝え聞いたのが軍人から転身してショー・ビジネスの世界に活動の場を移していた男、Major (Retired) Alauddin Latif (アラウディン・ラティーフ)でした。叔母エメラルドの夫(我が家族一番の成功者である軍人) Zulfikar(ズルフィカー)の軍隊勤務時の同僚です。 《 お断り 》この引用部は今回投稿ではなく前回投稿「60 回目」において読書対象としたエピソード Jamila Singer にある一節です。
[原文 2-1] … on that first night, as so often afterwards, Jamila sang to Major Alauddin Latif. Her voice wafted out through the window and silenced the traffic; the birds stopped chattering and, at the the hamburger shop across the street, the radio was switched off; the street was full of stationary people, and my sister's voice washed over them … when she finished, we noticed that Uncle Puffs was crying. [和訳 2-1] ・・・最初の夜(Latif が毎夕訪れるようになった最初の日の夜)、その後これがほぼお決まりのことになったのですが、ジャミラはアラウディン・ラティフ大佐に歌って聞かせました。彼女の歌声は窓を通り抜け屋外にまで届きます。歌声は通りのざわめきを停止させます。小鳥たちはさえずりを止めます。通りの向かいにあるハンバーガー店ではラジオが切られました。通りには歩みを止めじっと聞き耳を立てる人々が溢れます。私の妹の歌声はそんな人々をどっぷりと音楽の世界に浸しこんだのです。歌が終わるとパフおじさん(Major Latif)が目に涙しているのが皆に分かりました。
Lines between line 35 on page 434 and line 6 on page 435, "Midnight's Children", 40th Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback 上段、原文 2-1 に取り上げた一節と驚くほど似た発想の文章を、私はこれを読んで直ぐに思い出しました。20年近く以前にCDでその朗読を何回も(百回くらいかな)聞き楽しんだ短編、"O'Malley and Schwartz” by Patrick McGrath です。この短編は東京大学教養学部英語部会の編集になる 'The Universe of English II' と題された英語の教科書です(東京大学出版会発行 1998年10月)。 ここに例示するこの短編の一節はニューヨーク市内、地下鉄駅のプラットフォーム上での出来事です。最愛の恋人の命を奪われたO'Malleyは狂人になり、路上生活者のごとくです。バイオリンを抱えている以外は。
[原文 2-2] See him with weary movements bend stiffly to set the old violin case on the ground before him; see, despite the suffering in those sad lost eyes, the tenderness with which he handles the instrument and brings it to his shoulder; and see now, how the head lifts, the bow is bought to the strings, the grimy fingers come to life -- and he plays! He plays! Oh how he plays! And as he plays, an extraordinary change comes over the shuffling masses of tired humanity in those dreary hopeless vaults. Eyes lift from tabloid newspapers. Vacant gazes become focused, probe like searchlights, seeking the source of the divine sounds. A crowd begins to gather, the first coins tinkle into the old violin case, and within two or three minutes the entire platform is in a state of rapt attention. Through the chambers of the subway drift the haunting strains of O'Malley's violin, and travelers on the uptown platform, even those on the upper levels, listen and are enchanted. Work gangs stop working, beggars stop begging, muggers stop mugging -- the newsstands and ticket booths and turnstiles, the very struts and girders of the subway seem to strain toward O'Malley's violin! Even the rats creep out of their nests, united, for once, with their old foe Man in blissful appreciation of the Music.[和訳 2-2] この男、分かりますか、疲れ切った動きの男が滑りの悪い関節の腰を屈めて、自分の身の前、地面にバイオリンの古びたケースを広げましたよ。分かりますか、彼の孤独そうな両眼が讃える苦悩の影、そしてそれと対照的なこの楽器を持ち上げる、それを肩に添えかける動きの穏やかさが。弓が弦に触れました。汚れきった指が生気を示します。演奏を始めたのです。演奏を続けます。何ということでしょう。彼が演奏すると大変な変化が起こります。地下の何の変哲もない巨大空間の床をとぼとぼと歩いていた人々の群れに大変化が起こります。 人々の目は大衆紙から前方に向きを変えます。焦点が定まっていなかった目もその焦点が定まります。サーチライトのように視線は素晴らしい音楽が響き出でる場所を探すのです。集団の数が膨れ上がります。最初のコインが古いバイオリン・ケースに転げ落ちて音を立てます。ほんの2・3分の内にプラットフォームには聞き耳を立てる人々の静けさが溢れます。地下鉄車両客室の中にも人の心を掴んで逃がさないオマリーのバイオリンの音が届きます。郊外方向の列車用のプラットフォーム、そしてその上階にいた人々もその音に気付き耳を立て引き込まれます。作業員たちはその作業の手を停止します。乞食たちは物乞いを停止します。力ずくで人の物を掴み取りする輩さえ、その手を止めるのです。地下鉄駅舎内の新聞スタンド、切符売り場、改札口の鉄柵、手すりの鉄棒、通路案内柵、これらすべてがオマリーのバイオリンに緊張感を呼び起こされます。ネズミたちすらねぐらから身体をせり出し、緊張する人々、物々に同列します。この場は先祖代々からの敵である人間共なのですが同列するので。唯々、この音楽というもののすばらしさの所為なのです。
These lines are from page 4 "O'Malley and Schwarts" one of short stories contained in 'The Universe of English II', edited by The University of Tokyo Komaba
3. Study Notes の無償公開 Midnight's Children, Episode 23: How Saleem achieved purity に対応する Study Notes を以下に公開します。お役に立てれば幸いです。(原書 454 - 478 ページが対象です。)いつも通り、A5 サイズの冊子が印刷されるように調整されています。