「日本的なもの」を突き詰めると「書」に行き着きます。 石川九楊氏ほど書と歴史、精神文化を哲学されている方はいないでしょう。 その作品はもはやどのジャンルにも当てはまらない。 中平卓馬の父も書家だった。 日本の写真も書的であればこそ、独自性・特異性が出るのではないか。