楽しみながら知識が得られることは 小説を読む醍醐味の一つですね 世界文学の名作と言われる作品にも 歴史上の人物が登場したりします 作家独自の史観やフィクション部分を 史実を読み分ける必要こそありますが 歴史の本を読むだけでは得られない 人間性などもうかがえて興味が尽きません
経済に関する今野史観 A海賊(非生産者) B農耕民(生産者) 世界史はA→B→A→Bというように主導権、支配権が交互に入れ替わるように交代する。 テクノロジー、人口などは変遷するが支配、非支配関係は交代し合う。
学問は様々あれど、やはり歴史こそ教養のキングだと思う👑 単にテストに受かる歴史ではなく、一人一人が独自の"史観"を持つことが極めて大切。
【南京事件】において使用される【虐殺】という【用語】が、【既に評価が加えられた用語】であるという事に気がついて欲しい。つまり、【学問】として【使うのは不適格】。
現代でも狭い意味での【戦争】という【武装闘争】は行われている。 そして、勝者も敗者も存在せず、被害者だけが存在し、戦闘での死者・受傷者や破壊された街に住む生活破綻し難民になった住民たちである。 これを一つの【史観】から評価すると【悲惨】というのである。戦争は悲惨なのである。
【虐殺】という用語が、既に【評価】を含んでいると言う事や、武装解除し便衣と成って逃走潜伏した【特権放棄した状態】の兵士を殺害する事への【軍事必要上の正統性】があることが認識されないのは何故なんでしょうかね。 戦争・戦闘を人道という国により異なる道徳観で判断し過ぎなのでしょうな。
まぁ、問題は、この高校生君が、騙されないように勉強しようとたのTLで言って居られるが、多くの【南京事件】に関する【論文】をどれだけ読みこなしたのだろうか。他人の事より先ずは【隗より始めよ】の中国の故事に習い勉強したらどうであろうかと思う今日この頃。騙されないようにする為に。
三笠宮の件は、近衛文麿のこの言葉を贈るのですな。 【少壮軍人の多数は我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにあり。皇族方の中にも此主張に耳を傾けらるる方ありと仄聞す。】 当時、共産主義が【最悪】とは思っていなかったのですな。
戦後に於いて、日本と世界の歴史を評価する【史観】について、【肯定史観】と【加虐史観】の争いであった。双方の【視点】では、一つの【歴史のテーマ】が全く【別の意味】を持つ。 【史観】とは【歴史の事象】への【評価の基準】のことである。中・高生は覚えて於いて欲しい。
政治と、知識人以外の民衆的な力の適度な緊張や均衡あった時代は想うにアその前に、本能を肯定するしっかりした勇気を出せたら高度に洗練されない厳しい時代を生きて来た人間存在として色んな取り返しはつく。 政治家は画策をし、良識を担当する外圧を受けスケール自体は日本人は優れてた。 以前。
この人物の【史観】の【尺度】からは【未判明】のことを、【殺害された可能性が《高い》】となる。ここにこの人物の持つ【史観】における【問題性】を見ることが出来る。【単なる想像】または【感想】という【主観】に過ぎないからである。 そういう事を惹き起こす【史観】は間違っているといえる。
南京事件については様々な有料・無料の【論文】が有る。正式な形式に沿って書いて居られる。それには【虐殺】という【感情の評価】を使う【肯定派】の主に大学の学者と、その【評価】を【疑問視する】という民間の研究家に別れている。 そもそも【学問】で感情を評価にするのは【問題】だと考える。
有る【史観】から見ると【悲惨】だが、別の【史観】から見れば、【当然の事】になるということはままある。ある【行為】を【否定的】に見ることも可能であり、【肯定的】に見ることも可能である。 そして、【史観】は立方体のようで、有る方面から眺めると別の【史観】が隠れてしまう。
【真実は一つだから】とこの人物は述べているのだが、【真実】とするのは【評価】であって、何等かの【基準】が存在する。それが【歴史学】では【史観】というのだが、実際には【史観】は複数有る。つまり【真実】というのは【一つ】ではなく【複数】存在すると言う事を知って欲しいものである。